日本神話とチベット佛教絵画2010/09/04 23:54

 今日は、午後1時から午後5時過ぎまで、みっちり、佛教大学四条センターの講座を受講した。

 午後1時からの講座は、斉藤英喜先生の「日本神話の『幽冥界』」というテーマであった。

 最初に柳田国男の「他界論」が取りあげられた。結局、近現代の我々のアイデンティティのルーツを辿っていくと、神話の世界から連なる他界観に行き着くのである。

 更に時代をタイムマシンで遡上していくと、江戸後期の平田篤胤の「『幽冥』」は、この世の我々にはみることが出来ない世界として、存在し続けているという考え方につながる。

 18世紀の垂加神道系の松岡雄淵は、「人死すれば、魂気斯国に留在して、子孫と共に散ことなし。」という考え方につながる。

 実際、民俗学でも魂の招来と葬送に纏わる儀礼が取りあげられるが、その行いをみると、山から魂を迎えて、一定の期間、祖霊が滞在する。そうすることで子孫の繁栄・田畑の豊作につながる。一定の期間を過ぎると、再び祖霊を送り出すという考え方が現在も残っている。

 この様な祖霊に纏わる神道思想のルーツは、やはり、古代神話があり、イザナキ・イザナミの黄泉の国神話が地下世界のイメージを描いているところに行き当たる。

 イザナキとイザナミの斯国と冥界のやり取りの舞台となったのが黄泉ひら坂は、出雲の国の伊賦夜坂と古事記には記されている。

 この黄泉の坂、黄泉の穴は、出雲市猪目町の猪目洞窟と考えられている。

 ここからは、古墳時代の遺骨も出土し、その遺体は、古墳時代の船材で覆いをされていたのである。

 更に、この猪目洞窟は、出雲大社につながっていると考えられた。
 
 この部分に私も非常に興味を覚えた。出雲大社の建築は、超巨大建築で、海の遠くからでも見えたとされている。

 海洋神話の立場からみれば、出雲大社の役割は、海洋神を迎えて、その迎えられた海洋神と共に、死者の魂が再び海の彼方(冥界、他界)に帰っていく。

 海洋神は、来訪神(マレビト)であり、それは、葬送の神でもあり、新たな命を呼び込む神でもあると私は考えている。 

 この出雲の古代人の他界観に纏わる資料は、今回の講義で示された以外に『出雲風土記』がある。

 以前に「海洋祭祀文化と古代葬制」という論文を執筆した時にかなりの量の出雲にまつわる文献、考古学資料を収集したことがある。

 そこには、出雲郡宇賀郷条に、海辺の磯に大きく開口した岩戸のことが語られているのである。

 その様な海に面した洞窟には、古墳時代の船棺が出土している。また、地名にも「天岩船」等がみられ、死者は、岩船に守られて、海の向こうの他界に渡っていくのだという信仰があったようだ。

 斉藤先生の講義では、更に、篤胤の注釈「死ては、その魂やがて(そのまま)神にて、かの幽霊・幽魂などといふ如く、すでにいはゆる幽冥の帰けるなれば、さては、その冥府を掌り治めす大神は、大國主神に座せば」とあり、出雲の國の神は、冥府を掌る神として位置づけていると説明された。

 篤胤の「古史伝」等も引用されたが、顕と冥との隔にて幽より顕を見ること能わぬ定なればなりとあり、冥界とこの世とは、実は、併存しているが、この世から冥界をみることが我々は出来ない。

 私達人間は、この世の寿命は精々百年だが、冥界は、永遠に存在し続けている。

 どうもこの辺りの篤胤の世界観は判りにくいが、霊真柱等には、現世と冥界の瓢箪型の構造図が記されている。こうしてみると、この世はあの世からの循環であり、あの世はこの世からの循環である。

 つまり、幽冥を祀るということは、この世の生につながるということになる。

 大國主命が、五穀豊穣につながる農業神として、農村・山間で祀られているのは、このような構造を持っているからだと思う。

 
 こうしてみると、平田篤胤の思想は、国家神道の元になったと考えることは間違えである。篤胤は正しく、古代から現代につながる神々の生と死を司る関係を分析しているのだと思う。

☆☆☆

 午後3時30分からは、日本神話の世界からほど遠い、チベット密教絵画の世界にワープした。

 前回、ブログにアップした多羅母の絵である。

 今回、先生からの宿題である輪郭線の下書きをしてくることになっているが、出席者は、10名程度に減ったが、本格的なキャンバスに描いてきている人もいるし、ご年配の方も見事に宿題をこなしておられるので関心した。

 チベットタンカ絵師の城野 友美先生がそれぞれの宿題をチェックしていく。

 その間、小野田先生のレクチャーが入る。僕の場合、やはり光輪がまずいということで、コンパスで書き直し。顔も治してもらった。

 その後、墨入れの練習。鉛筆で書いた輪郭の上に面相筆で墨でなぞっていく。

 これは、失敗が許されない作業である。僕の場合、練習中に、アル中で腕が震えるので、線が滲んでしまった。

 本番でこうなったら台無しである。

 次回は、10月2日で最終回。いよいよ塗装に入る。塗装は、本来は岩絵の具を塗っていって、乾いたら、表面をナイフで綺麗に削って、その内に植物系の顔料やシェラックで、輪郭を描いていく。冠とか金の装飾は、実際に金を塗っていくらしい。

 来月までの宿題は、仏像の衣装とか装飾を含めた鉛筆画を完成させて、その後に墨で輪郭を入れて持ってくること。

 1ヶ月でこれだけやるのは、大変だし、うっかりして、北海道の出張日程を10月2日出発してしまったが、折角なので1日出発を遅らせることに航空券の追加料金2000円が発生してしまったが仕方がない。

 ハードスケジュールである。