貧乏から貧困へ2010/12/18 15:02


「貧乏」という言葉には定義がない。つまり、主観的な「言葉」であろう。年収1500万円以上のサラリーマンが、「こんなに貧乏なのに税金控除がなくなるなんて。」と言っていても間違いではないわけ。


一方、社会学では、「貧困」については、生活分析から定義づけがある。そこには、「最低生活水準」というのを経済、文化、教育、医療その他諸々のジャンルから定義づけしていく。

「生活保護」は、「最低生活水準」を定めており、それが達成出来ない所得しか無い対象者に支援を行う制度である。しかし、「最低生活水準」については、法的な観点、あるいは行政指針、更には、生活者、被支援者によって異なってくるだろう。

いずれにしても「貧困」は、客観的に定義出来る状態である。

うちの会社、更に色々と他の社員の話を聞いて愕然とした知らない間に、健康保険とか厚生年金を外された人もいるという。

そういえば、ある人の離職票がテーブルに置いてあった。その人は、今も社員として勤務しているが、会社が折半の保険料を払うことが出来なくなったみたい。それが先月のことで、私には知らされていないが、何か、財政状態を急に悪くする様なことが起こったのだろうか。

「類は友を呼ぶ」ということで、貧困業界で仕事をしていると、その得意先も貧困なので、倒産等で売掛金の回収が出来ないとか、そういったことも起こるのだろう。

僕は家で仕事をしているので、何が起こったのかしれないが、そのうち、自分の保険も外されるだろう。そうなると、まさに「貧乏」から「貧困」への移行である。

身体に異常が発見された今、医療保険から外されることは大変つらい。CMでやっていたが、癌で入院すれば、1日2万かかるという。つまり、ホテルのスウィートに2週間泊まり続ける様な出費である。それだけ、貯金を使い果たしてしまう。

こんなに困窮しているのに、馬鹿な私は、佛大に月々2500円の寄付金を払い続けている。これもおかしな話である。

一方で、好きな学問をやりたい放題、高級オーディオシステムを聞き放題、30畳の広大な書庫に万巻の書という贅沢三昧が可能な給与を教員に支払っている大学にどうして、僕の様な貧者がなけなしの収入から寄付金を支払い続ければならないのだろうか。

寄付金を申し込んだ自分の愚かさを通り越して、腹が立つ。でも寄付金は、税金とは違って本人の意志なので、「喜捨」として考えれば、それで良いかも。

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