ここまで記述されているのは、仏像関係の専門書でも少ないのでは2009/06/01 00:04

 月末に開催された佛教大学の仏教芸術コースのスクーリング科目ではきって多くのスライドを学生さんにお見せになられたと思う。

 私が受講していた時は、東京からも若い学生さんが京都までスクーリングに来られており、むしろ、京都以外の学生さんが多いような感じがした。

 仏像の授業、仏教彫刻史ともなれば、当然に我が国のそれも京都、奈良にある仏像の写真・スライドをパラパラと照射して学生さんは、眠い目をこすりながら、スライドに見入っているのが常であろう。本当に眠いものである。スライドが多く照射される授業は楽だと思っていたが、こんなにつらいものはないと思った。眠気との戦いは、それほど、大変だ。

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 日本の仏像というが、果たして、世界の仏像彫刻の中で、ニュートラルの位置にあるのだろうか。
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 経典に記されたり、十巻抄等の尊格を講義し、理解するだけで、仏像の特徴が果たして判ったと言えるのだろうか。その様な疑問を解決してくれるのが、『切手が伝える仏像』(内藤陽介著,2009,彩流社)で、出版されてほやほやの本であるが、切手収集家以外で、仏像ファン、研究者、コレクターの方も一読の価値がある。

 ここで扱われる仏像彫刻は、体系的に網羅されており、しかし、シルクロードの西端から極東日本国に至るまで、世界中の仏像が平等に扱われている。これまで殆ど明らかではなかった仏教美術品も切手にて知ることが出来る。素晴らしい本である。

 何よりも凄いのは、この本を読んで「仏像」というものの全体が初めて俯瞰出来たことである。

 これまで、佛大での授業、博物館の見学、新潮社の日本の仏像シリーズ等の講読等をしても、一体、「仏像は、私たちに何を伝えようとしているのか。」という本質論からは、離れている。

 唯一、森先生の講義だけが、そういった普遍性を獲得していたと思う。

 この本では、ブッダの生涯から密教の明王、天目に至るまで体系的に簡単に判りやすく解説している。しかも全てが美しいカラー図版である。世界的視野で仏像彫刻が歴史的にどの様に展開されていったかを知ることが出来る。

第1章 仏像以前

 仏像が登場する以前の遺跡で、特に最近インドで発行された切手等を豊富に用いて仏像以前の仏教の姿はどうであったのかを伝えている。菩提樹にも幾つかのパターンがあること、また、不勉強な私は、仏陀が悟りを得た菩提樹は、5世紀に切られてしまったが、その後、挿し木によってその木の子孫が残されていること等をこの本の記述で初めてしった。
 仏足石にも幾つかのパターンがある。宝輪、アショカ王柱等全て切手の格好の図案材料である。

第2章釈迦牟尼仏

 仏陀の生涯を誕生、出家と苦行、菩提樹下での瞑想、降魔、成道、布教の旅、入滅までが郵趣マテリアルを使用して見事に展開されていく。特にこの部分では、タイで発行された幾つかの切手が参考になる。特にタイの仏教彫刻史の中で、興味深いのは、降魔像がチェンセーン様式とスコータイ様式に分かれる点で、この辺りの指摘も凄く専門的であり、参考になった。

第3章 如来と菩薩
 ここでようやく大乗仏教国である日本の国の仏像切手達が多く登場する様になる。モンゴルの薬師如来の独特の様相等は切手でしかみられないものである。バーミヤン石仏の破壊前と破壊後の様子も切手になっている。韓国の金銅弥勒菩薩について、国宝78号、83号共に図案化されている。日本の法隆寺の弥勒菩薩のルーツであるとされているが、日本よりも古い資料が韓国には存在しないので、実証することが出来ないそうである。

第4章密教の仏像
 ここになってまた、海外の切手が多く登場する様になる。特にモンゴル関係の仏像切手の発行点数が異常に多い。その中でも特異なのが、開眼観音でモンゴル第八代活仏ボグド・ハーンが盲目となったので、その目が再び開く様につくられたそうである。また、多羅菩薩(ターラー菩薩)も日本では、あまり目にすることがない仏像である。スリンランカ、モンゴルの3種類が紹介されている。

第4章天部諸尊
 やはり梵天等海外のものが多い。インドのラクシュミの切手がなかなか良い。サラスバティ-やナーガも多く図案化されている。
補1 羅漢及び高僧像
補2 神仏習合の尊像

 ここまで記述されているのは、仏像関係の専門書でも少ないのでは、蔵王権現、熊野夫須美大神、中津姫命像等がある。

 いずれにしてもこの一冊で仏像のことがかなり判る様になると思う。3年前に仏教芸術コースに入学した時にこの本があれば、暗闇の中で、象の姿を手探りで知ろうとする様な苦労はしなかっただろう。

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