古事記、日本最古の原本を入手、新たな事実判明! ― 2009/06/21 14:21
以前 このブログにかいた「「祓」と読むのか、「抜」と読むのかどっちが正しい。」
http://fry.asablo.jp/blog/2009/06/13/4364014
の問題点について、「その後、素戔嗚尊は、八百万神から再び高天原からカムヤライに逢っている。その有様について、下記に原文を示したが、元々の真福寺本の原本をみていないので、なんとも言えないが、「手足爪令祓」という本文と、「手足爪令拔」という古事記本文(原漢文写本の翻読)の異同が認められる。」という点について、
まず、自分でつくった古事記データベース(思想体系本文に基づく)で「抜」と「祓」の文字が記されている部分を検索・抽出して、更に、日本で最も古いとされている「真福寺本古事記」影印本(桜風社による写真複製)を入手したので、比較照合を試みてみた。
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a 於是ヽ伊耶那岐命ヽ抜所丨御丨佩之十拳剣ヽ斬其子迦具
b 是抜食之間ヽ逃行。且後者ヽ於其八雷神ヽ
c 百之黄泉軍ヽ令追。爾ヽ抜所御佩之十拳剣而ヽ於
d 召天児屋命・布刀玉命布刀二字以音。下効此。而ヽ内抜天「香山之真男鹿之肩抜而ヽ取天香山之天之波ゝ迦此三字以
e 於是ヽ飲酔留伏寝。爾ヽ速須佐之男命ヽ抜其
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a1 坐竺紫日向之橘小門之阿波岐此三字以音。原而禊祓也。故ヽ於
a2 亦切鬢及手足爪令祓而ヽ神夜良比夜良比岐。
真福寺本影印より
aは、明確に「抜」と読める。
b,cも、同様に「抜」と読めるし、文脈上問題無い。
d,eも問題無し。
a1は、抜の偏が「手偏」ではなくてし「示偏」である可能性がある。その根拠は、示偏特有の上のノの字がみられることである。但し、「示偏」にある筈の右側の伸びるハライが抜けている。また、a2の「禊祓」の様につくりが「友」になっている。
a2は、明確に「示偏」であるが、つくりの書き方にクセがあり、支の字の様にみえる。しかし、友とは区別しようとしているというこがうかがえる。
こうしてみると、a1の書体は、偏からみれば、a~eと類似しているが、つくりからみれば、曖昧である。明らかに祓という文字が文脈上確実なa2に比べて、つくりの書体が異なっている。
結局、真福寺本写本の影印では、「抜」と読まれる可能性が高いが、「祓」と読まれる可能性も完全には、否定出来ないというグレーゾーンの判定になってしまう。
この辺りが、2つの翻刻、訓解を産み出した原因ではないだろうか。いずれにしても原本を判然とはしないが、私自身の意見としては、明らかにa1とa2に記された文字は、区別されるべきであろうと思う。
そうなると斎藤先生の解釈、つまり、素戔嗚尊が「祓」れたことによって性格が異なるという解釈の裏付けが難しくなる。
大体、素戔嗚尊は、悪神であれ、荒ぶるものであれ、「カミ」であるので、「祓」われる対象ではない。
但し、祓われた(浄化)された結果、新たなカミが誕生するケースは、いくつも描かれているが、それらは、本質的に素戔嗚尊とは異なっていると思う。
源氏物語を近代小説の様に読んだり、万葉集や古事記の世界と現代人の感性とそのまま通じるものがあると勝手に思いこんだり、今の日本の古典や古代研究は、本居宣長や秋成を別にすれば、混沌とした江戸時代に逆戻りだ。
庶民性という点では面白いかも知れないが、それならば、カルチャーセンターに行った方がマシである。(事実、私もそうだが、こういったのは、江戸時代の寺子屋みたいなものである。)
出版革命の結果、古典籍が庶民にも読める様になった江戸時代とインターネット時代の現代は似ているが、やはり、学問研究というからには、実証性があり、文献学等、科学的根拠に基づくものでなければ、ならないと思う。
それには、古事記にせよ、源氏物語にせよ、原典(始原にもっとも近い時代、段階で成立した資料)を、一生懸命に読みこなして、理解していくところから始めなければ、砂上楼閣に過ぎないのだ。
http://fry.asablo.jp/blog/2009/06/13/4364014
の問題点について、「その後、素戔嗚尊は、八百万神から再び高天原からカムヤライに逢っている。その有様について、下記に原文を示したが、元々の真福寺本の原本をみていないので、なんとも言えないが、「手足爪令祓」という本文と、「手足爪令拔」という古事記本文(原漢文写本の翻読)の異同が認められる。」という点について、
まず、自分でつくった古事記データベース(思想体系本文に基づく)で「抜」と「祓」の文字が記されている部分を検索・抽出して、更に、日本で最も古いとされている「真福寺本古事記」影印本(桜風社による写真複製)を入手したので、比較照合を試みてみた。
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a 於是ヽ伊耶那岐命ヽ抜所丨御丨佩之十拳剣ヽ斬其子迦具
b 是抜食之間ヽ逃行。且後者ヽ於其八雷神ヽ
c 百之黄泉軍ヽ令追。爾ヽ抜所御佩之十拳剣而ヽ於
d 召天児屋命・布刀玉命布刀二字以音。下効此。而ヽ内抜天「香山之真男鹿之肩抜而ヽ取天香山之天之波ゝ迦此三字以
e 於是ヽ飲酔留伏寝。爾ヽ速須佐之男命ヽ抜其
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a1 坐竺紫日向之橘小門之阿波岐此三字以音。原而禊祓也。故ヽ於
a2 亦切鬢及手足爪令祓而ヽ神夜良比夜良比岐。
真福寺本影印より
aは、明確に「抜」と読める。
b,cも、同様に「抜」と読めるし、文脈上問題無い。
d,eも問題無し。
a1は、抜の偏が「手偏」ではなくてし「示偏」である可能性がある。その根拠は、示偏特有の上のノの字がみられることである。但し、「示偏」にある筈の右側の伸びるハライが抜けている。また、a2の「禊祓」の様につくりが「友」になっている。
a2は、明確に「示偏」であるが、つくりの書き方にクセがあり、支の字の様にみえる。しかし、友とは区別しようとしているというこがうかがえる。
こうしてみると、a1の書体は、偏からみれば、a~eと類似しているが、つくりからみれば、曖昧である。明らかに祓という文字が文脈上確実なa2に比べて、つくりの書体が異なっている。
結局、真福寺本写本の影印では、「抜」と読まれる可能性が高いが、「祓」と読まれる可能性も完全には、否定出来ないというグレーゾーンの判定になってしまう。
この辺りが、2つの翻刻、訓解を産み出した原因ではないだろうか。いずれにしても原本を判然とはしないが、私自身の意見としては、明らかにa1とa2に記された文字は、区別されるべきであろうと思う。
そうなると斎藤先生の解釈、つまり、素戔嗚尊が「祓」れたことによって性格が異なるという解釈の裏付けが難しくなる。
大体、素戔嗚尊は、悪神であれ、荒ぶるものであれ、「カミ」であるので、「祓」われる対象ではない。
但し、祓われた(浄化)された結果、新たなカミが誕生するケースは、いくつも描かれているが、それらは、本質的に素戔嗚尊とは異なっていると思う。
源氏物語を近代小説の様に読んだり、万葉集や古事記の世界と現代人の感性とそのまま通じるものがあると勝手に思いこんだり、今の日本の古典や古代研究は、本居宣長や秋成を別にすれば、混沌とした江戸時代に逆戻りだ。
庶民性という点では面白いかも知れないが、それならば、カルチャーセンターに行った方がマシである。(事実、私もそうだが、こういったのは、江戸時代の寺子屋みたいなものである。)
出版革命の結果、古典籍が庶民にも読める様になった江戸時代とインターネット時代の現代は似ているが、やはり、学問研究というからには、実証性があり、文献学等、科学的根拠に基づくものでなければ、ならないと思う。
それには、古事記にせよ、源氏物語にせよ、原典(始原にもっとも近い時代、段階で成立した資料)を、一生懸命に読みこなして、理解していくところから始めなければ、砂上楼閣に過ぎないのだ。
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