新発見事実等も盛り込んだ祖父の新しい年譜に感謝2010/09/20 16:23

 祖父の画作のリストや詳細な年譜考証が、今後は、出来なくなるのでは、気にかけていたら、帰宅後、画集の解説文を呼んでいたら、神戸市立小磯記念美術館の学芸員の廣田生馬さんという人が、緻密にまとめられており、以前の画集や図録では、ある意味杜撰であった年譜が精密に作品例と共にまとめられており好感を持った。

 祖父が、神戸2中で創設した絵画倶楽部から、小磯良平や東山魁夷、あるいは詩人の竹中郁といった名だたる画家や文人等が巣立っていったことも書かれており、これは、今での考証にない事実である。

1928年の渡仏に関しては、残念ながら祖父が直接書いた日記が発見されず、週刊朝日の掲載された記事やあるいは、友人の日記を参照されているが、この解説に載っている手書きの草稿も祖父の日記に週刊朝日に掲載されなかったラフスケッチと共に残っていたのである。それを中学生の時に小豆島のアトリエで発見したが、そのアトリエも取り壊されることになり、解体直前に訪問して捜索したが残されていなかった。

 先日、亡くなった叔母が持っていったと思っていたが、どうやら紛失してしまったらしい。この日記があれば、大分、年譜考証も精密になったのにと悔やまれる。(日記には、ディアギレフ舞踏団やストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラベル等の作品の上演に関する記述もあったのに。)

 限られた資料や取材を元に廣田氏は、実に緻密な考証を行ってくれて、更に、祖父の川西のアトリエでの新発見(戦前の作品の散逸されていたと思われたものが発見された)等も付記していただいており、感謝の気持ちで一杯である。

但し、参考文献のリストや注)等を更に詳しく、あるいは、他の作家の発言、資料の引用の部分は、明確に示しておかれないと、せっかくの学術資料としての価値がなくなってしまう。

 廣田さんは、祖父の作品について、WEBにも書いて下さっている。
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/koisogallery/recommend/rec005.html

 
 うちの一族で、学問的な才能のある叔母がなくなってしまったので、1世紀前に生まれて、20世紀の後半まで生きた祖父の足跡さえもが、忠実な記録として残すことがおぼつかなくなっている。

 こうした中で、学芸員さんのお仕事は、作品展の開催、美術史研究の立場からみても貴重なのである。

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