「原典」とはなんぞや2011/01/20 00:20

 『アマテラス』(斎藤英喜著、学研新書)

 どこかのブログで喧伝しているので、買いました。ちらちらめくってみると、事前のイメージ通りの内容の様な感じ。

 神話学の人が、記紀や、中世日本紀、神仏習合を論じたら、こんな風になるというのは、なんとなく判るが、国文畑からみたら、やはり、抵抗があるし、学問というよりも、「学問小説風」である。

 つまり、学術資料をもとに壮大なストーリーを作り上げている。論文とも違うかも。

 一応、原典資料とやらが引かれているが、『古事記』新潮日本古典集成 新潮社とあるが、これは、原典というよりも注釈書であり、しかも、原文ではなくて、読み下し文なので、こうしたものは、原典と言ったら、僕の学部生時代だったら、「ゲンコツ」だった。

 やっぱり、古事記だったら、何本を参照したのか、この愚かな僕でさえも、真福寺本の影印で読んでいるのに、どんなものか。

 古事記の神々が当時、どの様に発音されていたのか、それは、こういった原典を読めば、一部に訓点の痕跡もみられるし、同じアマテラスでも読み分けられてことが判る。こうしたことは、本物の「原典」をみなければ、判らない。

 二次資料を孫引きしても怒られない佛大の学風というのは、たしかに自由で好いので、空想作品も生まれやすいが、学術的信憑性という点でどうだか。

 関大は、この逆で、こうしたことを許されない「お堅い学風」なので、「創造的な研究」というのは、関大オリジナルでは生まれなかった。

 私の師の清水好子先生は、関西大学に骨を埋められたが、もし、京都大学の教授であられたら、あるいは、間違って佛大の先生になられていたら、斉藤先生の様に、凄くユニークで面白い研究が幾つも生まれたかも。

 いずれにしても、この本の参考文献の項目をみただけで、「昭和は遠くなりにけり。」で、関大の恩師の木下先生や、神堀先生のお姿が好くも悪しくも忍ばれる。

 こうしたケチをつけたが、内容は、面白く、一昨年に籠神社での斉藤先生の講演を拝聴した内容、中世のアマテラスと元伊勢との関係についての考察にまで発展をみせている部分に研究の進歩の片鱗をうかがうことが出来る。

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