11代目一太郎 ― 2009/02/07 09:42
一太郎2009を早速、インストールした。
登録情報確認というショートカットをクリックして、ユーザーIDを入力したら、こんな情報が表示された。
JUST製品については13件が私の名義で登録されている。一太郎は合計10件ということになるが、どうゆう訳かマック用の一太郎5が登録されていない。これを入れると11件ということになる。また、最初の登録年次が1989年7月10日ということになっている。実際に購入したのは、たしか、6月中だったと思う。
こんな風にユーザー毎の購入歴が出てくるソフトウエアメーカーってめずらしいと思う。それにしても沢山の一太郎を買っていたものだ。VER4~8までは、連続購入ということになる。Ver9以降は、少し縁遠くなったかなという感じ。
2004から2009まで5年も空いている。この次の一太郎は、どのバージョンを買うのだろうか。
登録情報確認というショートカットをクリックして、ユーザーIDを入力したら、こんな情報が表示された。
JUST製品については13件が私の名義で登録されている。一太郎は合計10件ということになるが、どうゆう訳かマック用の一太郎5が登録されていない。これを入れると11件ということになる。また、最初の登録年次が1989年7月10日ということになっている。実際に購入したのは、たしか、6月中だったと思う。
こんな風にユーザー毎の購入歴が出てくるソフトウエアメーカーってめずらしいと思う。それにしても沢山の一太郎を買っていたものだ。VER4~8までは、連続購入ということになる。Ver9以降は、少し縁遠くなったかなという感じ。
2004から2009まで5年も空いている。この次の一太郎は、どのバージョンを買うのだろうか。
フルヴェン&フィッシャー、ブラコンのユニバーサルCD盤も入手 ― 2009/02/07 10:26
ユニバーサルクラシックス(旧ドイツグラモフォン)から、これまで取りあげて来たフルトヴェングラーとフィッシャーによるブラームスピアノ協奏曲第2番ニ長調のライブ録音が発売されていることをワルティ西梅田店の店頭で発見、早速、購入。
1942年11月9日ベルリンフィルハーモニーでのライブ録音で、ベルリン帝国放送局によるテープ録音、会場は旧ベルリンフィルハーモニーホール、76㎝走行のマグネトフォンによる録音だ。
マグネトフォンは、帝国放送局のスタジオに設置、フィルハーモニーホールから、長い長いケーブルで、音声信号を転送された。マグネトフォンは、2台設置されている。1つのライブ録音の場合は、2台の録音機がなければ、全て収録出来なかったし、オープンリールの交換の問題もあり、交互に切り換えられたようだ。
また、会場にはマイクが2台設置、これもスタジオでミキシングを行った。カラヤンのステレオ実験録音1944年の様に予備用とメインを左右に振ってワンポイントステレオも行われ、一部は、フルトヴェングラーの演奏もステレオ収録されているという。
このテープは記録によると自由ベルリン放送協会提供とある。この場合、2つの伝達ルートが考えられる。
①マグネトフォン収録ライブは、放送局毎に幾つかコピーが作成されて、地域の放送局毎に番組をオンエアしていたから。ソ連に接収されないままに西ドイツあるいは、東ドイツの放送局に残されたもの。
②ソ連に接収されたテープからデジタルコピーをされたテープが西側に1988~89年に返却されたもの。
もう一度、米国TURNABOUT盤と比較して聴くと同一録音であると認められる(演奏ミスやノイズ箇所等)が、それが、コピーなのか、オリジナルかの判別はつかない。
あるこの盤の研究者によると、
http://homepage1.nifty.com/classicalcd/cdreviews/2000-1/2000011002.htm
「ブラームスの協奏曲なのですが,これは大戦中に独帝国放送が録音したもので,戦後ソ連軍がモスクワに持ち帰り,メロディアレーベルからLPが出ていたものです。この録音を含むフルトヴェングラーの録音は1988年にデジタルコピーしたテープが西ドイツに返還され,そのテープはNHK-FMで放送され,また,一部を除いてドイツグラモフォンから10枚のCDとして発売され,国内盤でも出ました。しかし,このデジタルコピーのテープにはエコーが加えられており,技術的に取り除くことが困難だったために,ドイツグラモフォンではそのままCD化して発売しました。そして,このデジタルコピーテープは,ソ連軍が接収したオリジナルテープではなく,モスクワ放送が放送用に用いていたテープからのコピーであることも判明しました。」とある。
つまり、メロディア盤は、エコーが加えられており、音がボヤケ気味であるとしている。この点は、前回取りあげた宇野功芳氏の説明にもあり、メロディア盤にはエコーが加わっているということになる。
しかし、私が聴くTURNABOT盤は、そうした感じはなくて、今回、購入したユニバーサルクラシックス盤と同じ、ややライブ程度の録音条件であり、後から、音質加工された形跡は認められない。これはどうしたことだろうか。そこで私は、次の仮説を考えている。
①TURNABOUT盤及びユニバーサルクラシックス盤は、同じ音源からなっている。メロディア盤のエコーなどの特徴が認められないのは、ソ連に接収されたテープに由来していない為で、戦後もドイツ領内の放送局(ベルリン自由放送)等に残されたコピーが元になっている。メロディア盤を聴かないと判らないし、そのメロディア盤の原盤に近いというオーソライズされた版も必要になってくる。但し、当時のソビエトは、機材、物資とも最低で、後でエコーなどを付加する技術は結構難しく、旧ソ連でわざわざそこまでしてLPを発売していたかということで、元々、オリジナルのテープに音場補正がされていたものと、そうでないものがあったと考えられる。つまり、メロディア盤は、ドイツから接収された時点でエコーが加えられていたと考えられる。
②①に鑑みて、当日、設置されていたマイク2本から、残響が多い会場の客席側に設置されていたマイクからの音と、近接位置に設置されたマイクの音をミキシングすることで、残響付加したオリジナルテープも作成された。これがメロディア盤の原盤だと思われる。同時にこれまで通りの手法で予備に収録されていたテープも残され、これが、接収されずに旧ドイツ領内に残された。それを使ったのが、ユニバーサルクラシックス盤及びTURNABOUT盤の原本である。
今回、ユニバーサルクラシックス盤とTURNABOUTのLPの比較を試聴を行った。ユニバーサルクラシックス盤は、源氏物語のテキストで言えば、定家直筆本とは言わないまでも明融臨模本に匹敵するオリジナルへの近さとオーソリティを持っている。一方、米国TURNABOUTのLPは、江戸期の湖月抄版本(印刷本)に例えられる位のオリジナルからの遠さを持っている。
ユニバーサルCD盤は、そうした点でノイズもオケのピアノの歪みも採れており、LP作成時にカットされたとみられる低域も伸びている。しかし、TURNABOUTのLPは、高域の伸びやダイナミックスレンジがCD盤よりも大きく、フィッシャーのピアノのタッチの特色やフルトヴェングラー指揮ベルリンフィルの持つ弦楽器の独特の高音の艶や流動性等が良く再現されている。
ユニバーサルCDは、録音されてから56年が経過してデジタルリマスターされているので、テープの磁気劣化の影響で、磁気が飛び、録音レベルの低下及び高音退化の現象が発生している。一方、TURNABOUTは、録音されてから15年程度でリマスターされているので、未だテープの鮮度が残されていたのである。
また、CDとLPというメディアの違いもある。こうしてみると、やはり、LPに軍配が上がるが、このCDも十分に存在価値があり、フルトヴェングラーとフィッシャーの素晴らしい演奏を鑑賞することが出来る。
また、私がリマスターを行ったCDと比べると、エキスパンダー等を使用してレンジは更に拡大しているが、やはり、ユニバーサルクラシックスのCDやオリジナルのLPに比べて、鮮度が更に落ちていることを認めざるを得なかった。
やはり、LPは、都度、ターンテーブルに載せて針を落とす緊張感を味わいながら、「生演奏」を聴くべきなのだと思う。優秀なアンプ(出来れば透過性の良い真空管のみの増幅回路によるイコライザーで、当時の録音カーブを忠実に再現出来ればベストである。)で聴くべきものだと実感した。
1942年11月9日ベルリンフィルハーモニーでのライブ録音で、ベルリン帝国放送局によるテープ録音、会場は旧ベルリンフィルハーモニーホール、76㎝走行のマグネトフォンによる録音だ。
マグネトフォンは、帝国放送局のスタジオに設置、フィルハーモニーホールから、長い長いケーブルで、音声信号を転送された。マグネトフォンは、2台設置されている。1つのライブ録音の場合は、2台の録音機がなければ、全て収録出来なかったし、オープンリールの交換の問題もあり、交互に切り換えられたようだ。
また、会場にはマイクが2台設置、これもスタジオでミキシングを行った。カラヤンのステレオ実験録音1944年の様に予備用とメインを左右に振ってワンポイントステレオも行われ、一部は、フルトヴェングラーの演奏もステレオ収録されているという。
このテープは記録によると自由ベルリン放送協会提供とある。この場合、2つの伝達ルートが考えられる。
①マグネトフォン収録ライブは、放送局毎に幾つかコピーが作成されて、地域の放送局毎に番組をオンエアしていたから。ソ連に接収されないままに西ドイツあるいは、東ドイツの放送局に残されたもの。
②ソ連に接収されたテープからデジタルコピーをされたテープが西側に1988~89年に返却されたもの。
もう一度、米国TURNABOUT盤と比較して聴くと同一録音であると認められる(演奏ミスやノイズ箇所等)が、それが、コピーなのか、オリジナルかの判別はつかない。
あるこの盤の研究者によると、
http://homepage1.nifty.com/classicalcd/cdreviews/2000-1/2000011002.htm
「ブラームスの協奏曲なのですが,これは大戦中に独帝国放送が録音したもので,戦後ソ連軍がモスクワに持ち帰り,メロディアレーベルからLPが出ていたものです。この録音を含むフルトヴェングラーの録音は1988年にデジタルコピーしたテープが西ドイツに返還され,そのテープはNHK-FMで放送され,また,一部を除いてドイツグラモフォンから10枚のCDとして発売され,国内盤でも出ました。しかし,このデジタルコピーのテープにはエコーが加えられており,技術的に取り除くことが困難だったために,ドイツグラモフォンではそのままCD化して発売しました。そして,このデジタルコピーテープは,ソ連軍が接収したオリジナルテープではなく,モスクワ放送が放送用に用いていたテープからのコピーであることも判明しました。」とある。
つまり、メロディア盤は、エコーが加えられており、音がボヤケ気味であるとしている。この点は、前回取りあげた宇野功芳氏の説明にもあり、メロディア盤にはエコーが加わっているということになる。
しかし、私が聴くTURNABOT盤は、そうした感じはなくて、今回、購入したユニバーサルクラシックス盤と同じ、ややライブ程度の録音条件であり、後から、音質加工された形跡は認められない。これはどうしたことだろうか。そこで私は、次の仮説を考えている。
①TURNABOUT盤及びユニバーサルクラシックス盤は、同じ音源からなっている。メロディア盤のエコーなどの特徴が認められないのは、ソ連に接収されたテープに由来していない為で、戦後もドイツ領内の放送局(ベルリン自由放送)等に残されたコピーが元になっている。メロディア盤を聴かないと判らないし、そのメロディア盤の原盤に近いというオーソライズされた版も必要になってくる。但し、当時のソビエトは、機材、物資とも最低で、後でエコーなどを付加する技術は結構難しく、旧ソ連でわざわざそこまでしてLPを発売していたかということで、元々、オリジナルのテープに音場補正がされていたものと、そうでないものがあったと考えられる。つまり、メロディア盤は、ドイツから接収された時点でエコーが加えられていたと考えられる。
②①に鑑みて、当日、設置されていたマイク2本から、残響が多い会場の客席側に設置されていたマイクからの音と、近接位置に設置されたマイクの音をミキシングすることで、残響付加したオリジナルテープも作成された。これがメロディア盤の原盤だと思われる。同時にこれまで通りの手法で予備に収録されていたテープも残され、これが、接収されずに旧ドイツ領内に残された。それを使ったのが、ユニバーサルクラシックス盤及びTURNABOUT盤の原本である。
今回、ユニバーサルクラシックス盤とTURNABOUTのLPの比較を試聴を行った。ユニバーサルクラシックス盤は、源氏物語のテキストで言えば、定家直筆本とは言わないまでも明融臨模本に匹敵するオリジナルへの近さとオーソリティを持っている。一方、米国TURNABOUTのLPは、江戸期の湖月抄版本(印刷本)に例えられる位のオリジナルからの遠さを持っている。
ユニバーサルCD盤は、そうした点でノイズもオケのピアノの歪みも採れており、LP作成時にカットされたとみられる低域も伸びている。しかし、TURNABOUTのLPは、高域の伸びやダイナミックスレンジがCD盤よりも大きく、フィッシャーのピアノのタッチの特色やフルトヴェングラー指揮ベルリンフィルの持つ弦楽器の独特の高音の艶や流動性等が良く再現されている。
ユニバーサルCDは、録音されてから56年が経過してデジタルリマスターされているので、テープの磁気劣化の影響で、磁気が飛び、録音レベルの低下及び高音退化の現象が発生している。一方、TURNABOUTは、録音されてから15年程度でリマスターされているので、未だテープの鮮度が残されていたのである。
また、CDとLPというメディアの違いもある。こうしてみると、やはり、LPに軍配が上がるが、このCDも十分に存在価値があり、フルトヴェングラーとフィッシャーの素晴らしい演奏を鑑賞することが出来る。
また、私がリマスターを行ったCDと比べると、エキスパンダー等を使用してレンジは更に拡大しているが、やはり、ユニバーサルクラシックスのCDやオリジナルのLPに比べて、鮮度が更に落ちていることを認めざるを得なかった。
やはり、LPは、都度、ターンテーブルに載せて針を落とす緊張感を味わいながら、「生演奏」を聴くべきなのだと思う。優秀なアンプ(出来れば透過性の良い真空管のみの増幅回路によるイコライザーで、当時の録音カーブを忠実に再現出来ればベストである。)で聴くべきものだと実感した。
やはり、完全互換という訳にはいかない(付加) ― 2009/02/07 19:10
早速、一太郎2009をインストールしてみた。まず、起動して気づくことは、プロフェッショナルモードがなくなり、画面がすっきりしたことである。それと、これは、宣伝には書いていなかったが、起動が速くなったという点で、WORD等に比べて遙かに軽快に操作出来る。
日常的に縦組みの文章を作成することが多いが、一太郎の場合は、横方向に進んでいくがWORDは、縦方向である。
縦組みの文章に横組みの表を組み込んだWORD文章(卒業論文 写真下)を以前の一太郎で読み込むと、まったくでたらめな表示になったが、この通り、一応縦組みの表枠と共に表示される。オープンオフィスでは、表が完全にずれてしまうが、一太郎2009は、一応、形にはなっている。
但し、実際には、写真上の通り、文字組がずれてしまうので、頁送り等もずれて来てしまうので、変換後は、修正必要である。また、一度、WORD文章を一太郎2009で読み込んで修正して、WORD形式の文章で保存して、WORDで開いてみると、更に狂いが酷くなっており、少し、実用には難しい。かなり進歩したが、まだまだという感じ。
一太郎で修正したWORD文章をWORDで読み込んでも、完全に同じ様に表示される様になれば、本当につかいたい。
仕事では、オープンオフィスのWORDフォーマットよりもマシであるが、完全に信頼して文章作成して相手に渡すことは難しいかもしれない。
また、WORDにエクセルの表を組み込んだものを一太郎2009で読み込むと、エクセルの属性は生きていて、表組みをダブルクリックするとちゃんとエクセルが立ち上がる。こういった点は評価出来る。
それにしても開発姿勢が中途半端である。趣味でソフトを開発したらこんな妥協はしないだろう。サラリーマン根性で作成された有料ソフトとは、こんなものかと思う。
日常的に縦組みの文章を作成することが多いが、一太郎の場合は、横方向に進んでいくがWORDは、縦方向である。
縦組みの文章に横組みの表を組み込んだWORD文章(卒業論文 写真下)を以前の一太郎で読み込むと、まったくでたらめな表示になったが、この通り、一応縦組みの表枠と共に表示される。オープンオフィスでは、表が完全にずれてしまうが、一太郎2009は、一応、形にはなっている。
但し、実際には、写真上の通り、文字組がずれてしまうので、頁送り等もずれて来てしまうので、変換後は、修正必要である。また、一度、WORD文章を一太郎2009で読み込んで修正して、WORD形式の文章で保存して、WORDで開いてみると、更に狂いが酷くなっており、少し、実用には難しい。かなり進歩したが、まだまだという感じ。
一太郎で修正したWORD文章をWORDで読み込んでも、完全に同じ様に表示される様になれば、本当につかいたい。
仕事では、オープンオフィスのWORDフォーマットよりもマシであるが、完全に信頼して文章作成して相手に渡すことは難しいかもしれない。
また、WORDにエクセルの表を組み込んだものを一太郎2009で読み込むと、エクセルの属性は生きていて、表組みをダブルクリックするとちゃんとエクセルが立ち上がる。こういった点は評価出来る。
それにしても開発姿勢が中途半端である。趣味でソフトを開発したらこんな妥協はしないだろう。サラリーマン根性で作成された有料ソフトとは、こんなものかと思う。
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