貧乏くじを引かされシラフではおれんかった中川財務担当大臣2009/02/18 09:59

 中川財務担当大臣の辞任をめぐっての騒ぎが続いている。大臣の責任の問題、内閣の無策さ等が浮上しているが、もっと肝心なことをマスコミは見逃している。

 それは、何故、中川財務担当大臣がG7の後であんなにも落ち込むというかシラフでおれなくなったかと言う点である。つまり、大臣は、厳しさを通り越した恐ろしい現実を知ったからである。

 おそらく、G7では、短期間(2~3年)での景気回復は見込めないという見解で各国が一致した。そうなると、弱肉強食の世界である。何故、米国がクリントン来日に示すような日本にあれ程の歩み寄りを見せているか、それは、大量の米国債を聞こえがよくて同盟国、実際は、属国領土である日本政府に債権を引き取らせる為である。米国では、史上最大規模の景気対策を行うが、日本の国家予算を上回る巨額の上納金を要請してきたのである。

 G7では、保護主義的な方針をとる国と日本のようにあくまでも世界協調方針を維持しようとする国とで対立したとみられる。(これは、G7前に中川大臣が述べてきたことである。)

 さて、アメリカは、表面上は協調路線を採りながらも裏では、前述の上納金を引き替え条件に出してきているとみられる。

 この事実は、日本国民には隠蔽されているが、いずれ明らかになるだろう。いずれにしても既に世界の景況は泥沼化している。

 情報メルトダウンの項目で述べた通り、これは、サブプライムローンとかそういったことではなくて、20世紀型市場資本主義の行き詰まりと制度崩壊の前兆にしか過ぎない。

 徹底的な崩壊とゼロからの再建という道程踏まなければ、世界の経済秩序の回復は望めず、数年、あるいは10年でも、状況の克服は困難だろう。

 財務担当大臣は、誰がやっても同じだと思う。強い人、弱い人の差はあるが、結局は、追い込まれることになる貧乏くじである。

 どんな人も自分を自分で守る以外に方法はない。
 ビスマルク的な方法以外は、既に方策は尽きているのである。

文化財の保全の社会的意義はあるのか2009/02/18 23:07

 『金色の棺』(内海隆一郎,1993,ちくま文庫,定価680円)

 北海道の古書店というかリサイクル店からこの倍額(送料抜きでも)で購入。絶版なので、どこを捜してもなかった。この本の存在は、以前、エントリーした『中尊寺千二百年の真実』(佐々木邦世著,2005,祥伝社)で参考文献として挙げられていたもの。

 興味ある分野は、こうして芋づる式の本を探査して読んでいくのも面白い。『金色の棺』の後書きの文章を佐々木邦世氏が書いていることから、一応、中尊寺の関係者のお墨付きがついた本とみて良いだろう。

 残念ながら小説としての出来は2流作品だ。折角、詳細な資料収集を行って出来上がった作品なので、もっと大勢の人に読んでもらいたかったに違いないが、版を重ねることなく、ちくま文庫の絶版目録にさえ記載されておらず忘れられた存在。

 出来れば、内海氏じしんの体験記、あるいは記録的な書き方をしてくださったら倍ぐらいは面白いと思う。

 小説としては今ひとつであるが、この本の存在意義は大きい。主題は、藤原三代のミイラ調査をめぐる周囲人達の人間模様とも言える作品だが、戦後の文化財行政、政治・社会的風潮、マスコミの文化財の見方、文化財を保持している人達の社会的位置づけといった多くの問題を提起してくれるので、社会的小説とも言えそうだ。

 中尊寺金色堂をめぐる歴史的記述の中で、近世以降に2~3回の開棺と補修、明治期に1度、昭和5年、そして、昭和25年の調査の経緯も簡単に書かれているが、キチンと典拠となる資料も挙げておられて、これで巻末に文献目録を入れてくださったら学術資料としても使えるだろう。

 結局、江戸時代の開棺の作業の結果、ミイラや遺物の大きな損壊はなく、一番、保護的であった。明治期の調査では、ミイラや棺桶自体の損傷はみられなかった。須彌壇等の改造等は破壊行為であった。

 でも、一番大きな損壊を与えたのは、昭和5年の開棺と金色堂の基礎部分のコンクリート改修であった。これは、本文にも記述されているが、3代のミイラを保護する為に石綿を詰めたのである。ところが、この石綿は吸水作用があること、更に基礎工事でコンクリートを敷き詰めた為に土壌から水分が吸い上げられることになり、毛髪まで完全な形で残っていたとされる秀衡の遺骸の損傷を大きくしてしまった。

 つまり、最も最近に行われた保全作業によって数百年間保たれてきた安定した環境が完全に破壊され、ミイラの損壊を早める結果になった。これは、文化庁による高松塚の保全と類似している。吸水性のあるコンクリート外壁で密閉し、しかも、空調設備が機能していなかった為に、1000年以上も保たれてきた遺跡保全の環境が破壊されたのだ。

 この小説の中で、面白いのは、法隆寺の金堂火災の模様が中尊寺の人達、仏教界の関係者、マスコミに与えた影響が書かれており、この最大の文化的損失がコラボレーションとして描かれている点である。

 法隆寺の火災も壁画模写という、言わば、保護・保全作業の過失によって発生したのである。

 中尊寺の場合は、金色堂が外回りを覆う建築物が2度に亘る台風で著しく損壊し、雨漏りが酷い時には、内部の仏像が滝行をされている様な有様になってしまったこと。虫害が進んだこと等が大きな保全活動の理由であるが、最も大きな要因としては、「戦後の農地解放」であった。

 アメリカ占領軍の指示で行われた農地解放の結果、寺領が失われ、檀家を持たない中尊寺を鎌倉時代以来、支えてきた経済システムが崩壊した為に、経済的な困窮により、文化遺産の保全が出来なくなった為だ。

 また、ミイラの調査に踏み切ったきっかけとしては、朝日新聞の斎藤記者の働きもあるが、GHQ(占領軍総司令部)が直接、中尊寺の調査をアメリカの学者を用いて行いかねない状況で実際に要望書が届いた為である。

 そうなれば、大変なことになると、アメリカ人の手に堕ちる前に、御遺骸の尊厳を保ちながら調査、世論の支持を得て、この貴重な文化財の保全が出来る様な社会的環境をつくりあげることが必要になった。

 金色の棺を開けると祟りにあう、気が狂って死ぬという「言い伝え」が、寺院関係者に長い間伝えられてきた。実際にその様なことがあったらしい。昭和5年の調査で大量のアスベストが棺桶に詰め込まれ、戦後すぐの調査では、それを除去する作業が行われたが、周囲は塵界で何も見えない程であったという。中皮腫等の被害が起こる可能性もあるだろう。

 この作品を読んで考えさせられたのは、文化財を調査する「現代」の我々の奢りと慢心、エゴである。

 西洋の科学理想主義が蔓延した近代以降の文化的風潮が、「今の我々に比べて、過去の時代の人間は、ずっと劣っている。だから、最新の技術を使って守ってやるのだ。」という考え方は、現在も行われている考古学の発掘と破壊作業、文化財の補修と調査、博物館での管理など全てに及んでおり、今後、わずか数十年で数百年、あるいは、数千年伝えられてきた文化財が破壊されてしまうこともあり得る。

 敦煌の壁画を剥がして持ち去ってベルリンの博物館に飾られていたのは、僅か15年余り、連合軍の攻撃で全ては、破壊しつくされた。こうしたことを同じことが結果的には法隆寺や高松塚で発生、あるいは起ころうとしているのだと思う。

 文化遺保全で一番大切なのは、文化財をその土地・地域に根ざしたありのままの姿で存在を続けさせてあげるということである。

 つまり、文化財は、地域の宗教文化と共に歴史を歩んできており、その中で、加えられた変化自体も文化的遺産であり、現在の私たちの独りよがりの考え方で改修、保護、復元を行うべきではないと思う。

 つまり、一番大事なのは、貴重な世界文化遺産を守る為の地域・社会の文化的環境を地域に根ざした人達の手によって守り継いでいくことだと思う。

 文化財は、学術調査、論文記述の為に存在しているのではない。

 また、文化財保護活動のあり方として、私が社会学のフィールド調査の時にも社会調査は、あくまでもエゴイズムであり、調査活動を前面に押し出して、地域社会のあり方そのもの干渉することは、罪悪だと感じたことと同じ意味を持つと思う。

 たしかに研究調査によって文化財に新しい価値を吹き込むことが出来るかも知れない。様々な学術文化賞の受賞は、大学の先生方にとっては、誇りでありステータスでもある。

 しかし、それは、研究者の個人や非常に短いスパンでの学術風潮によるものに過ぎない。その様なものが全て崩壊した、後の時代の人々が残された研究成果をみた場合には、嘲笑の対象や時には、文化財破壊、盗難といった犯罪視されることだってあり、実際に中国の敦煌等の遺跡でもみられることなのである。