日本経済の後進性の象徴・輸入通関統計分類 ― 2010/10/12 20:54
休日明け早々、仕事に追われて、朝8時から夕方までずっとパソコンに向かいっぱなし。
統計処理が毎月あり大変。経済や市場関係の記事を書くにも統計処理は、重要な要素。綺麗なデータが出てきたら嬉しくなる。「世の中、やはり数字なんだ。」と1人感心してしまうこともある。
佛教大学の応用社会学科でも統計処理の演習のスクーリングがあったが、なんとテストとレポートの評価が100点。高校以来、100点をとったことがなかったので、本人も驚いたが、国立人口学研究所に勤務されている担当の講師の先生も驚かれたらしい。
大学は、文系だし、統計学の授業もあったが、テキストは読んだものの、指数計算なんかは興味があったが、それ以外は、殆ど興味なし。
今の会社に見習いで入った時、新米の記者は、財務省の出先の統計閲覧室(大阪府合同庁舎内)まで出向いて、毎月、輸入通関統計の資料のフィルムをコピーして持ち帰る。
全国通関は、大したことはないが、港別通関は、全国の全ての津々浦々の税関を調べ上げる。それも品目数が20品目以上あるので、品目番号コード表を参照しながら、ほとんど3時間以上かけながら、マイクロフィルムを複写する。
空いていれは良いが、発表日は、3台しかない端末に人が並んでいる。僕の様に400枚位コピーをとる人間がおれば、後ろに並んでいる人がブツクサ文句を言い始めて、喧嘩にもなりかねない。
しかもコピー代は、1枚10円、だから、1万円札の両替が必要になる。最初の内は、まず、近くの銀行で両替してから閲覧室に行かねばならなかった。最後の方になって事務所で両替をしてもらわなければならなかった。
全部コピーがとりおわると、事務所にいって、領収書を発行してもらう。枚数を記入する用紙に書き込んで、それと引き替えに領収書をもらう。勿論、コピー代は自分持ちで後で会社で精算してもらうので、給料日前に大抵発表があるので、悲惨だった。
会社にもどって、これを最初は手作業で分類をやっていたが、数日、夜9~10時までの残業になる。それも、大抵、コピーの取り漏れがあって、その部分を再び取りにいかないと、資料は完成しない。
新米の仕事だったが、実は、会社の中で、一番熟練がいる仕事だったので、みんないい加減にやっていた。私は、それが許せない性分だったので、会社で埃を被っていたFACOM9456で統計処理のプログラムを組んで、入力、分類、出力を自動化した。もう20数年前のことだ。
しかし、処理速度があまりにも遅く、汎用のプログラムがとろかったので、ラップトップのPC9801LVを自腹で購入して、それにクイックBASICで分類集計プログラムを組んで、処理をすると凄く処理が速いので、「これからは、オフコンよりもパソコンの時代や。」と思う様になった。
統計処理は新米の仕事とされていたが、新しく入って来た人はみんな退職して、先輩もみんな辞めてしまったので、未だに自分がこの仕事をやっている。
でも、今では、財務省の輸入通関統計がインターネットで閲覧出来て、必要な品目の分類出力、CSVデータでのダウンロードも可能、勿論、費用は無用。昔と比べたら天国と地獄の差。
http://www.customs.go.jp/toukei/srch/index.htm
しかし、農産物の場合は、関税による分類なので、細部の品目別の輸入データは得られないので、最近では、農林水産省の機関である植物防疫所の統計データベースを活用している。
http://www.pps.go.jp/TokeiWWW/src1200.jsp;jsessionid=F92372B9C5D73D2E4C0DA7E229FECC91?mode=2&doc=1
輸入通関統計は、月単位で、しかも2ヶ月遅れだが、こちらは、気の毒な係員の人が毎週土日に集計して月曜日に毎週、新しいデータがアップロードされている。勿論、月間、年間集計も出る。ここまでデータが新しいと実際のビジネスにも大変有効だと思う。
財務署の輸入通関統計は、もう30年以上も以前の分類のまま。最近の経済情勢の変化や特に輸入では、国内の消費需要の変化に対応しなくなっている。
こんな風に旧式なデータによって白書類が作成されているので、日本という国は、後進国にどんどん追い抜かされていくし、何時までも戦後経済の残影を引きずった輸出主導型の産業形態から転換出来ず、日本経済の後進性を露呈することになっているのだと思う。
統計処理が毎月あり大変。経済や市場関係の記事を書くにも統計処理は、重要な要素。綺麗なデータが出てきたら嬉しくなる。「世の中、やはり数字なんだ。」と1人感心してしまうこともある。
佛教大学の応用社会学科でも統計処理の演習のスクーリングがあったが、なんとテストとレポートの評価が100点。高校以来、100点をとったことがなかったので、本人も驚いたが、国立人口学研究所に勤務されている担当の講師の先生も驚かれたらしい。
大学は、文系だし、統計学の授業もあったが、テキストは読んだものの、指数計算なんかは興味があったが、それ以外は、殆ど興味なし。
今の会社に見習いで入った時、新米の記者は、財務省の出先の統計閲覧室(大阪府合同庁舎内)まで出向いて、毎月、輸入通関統計の資料のフィルムをコピーして持ち帰る。
全国通関は、大したことはないが、港別通関は、全国の全ての津々浦々の税関を調べ上げる。それも品目数が20品目以上あるので、品目番号コード表を参照しながら、ほとんど3時間以上かけながら、マイクロフィルムを複写する。
空いていれは良いが、発表日は、3台しかない端末に人が並んでいる。僕の様に400枚位コピーをとる人間がおれば、後ろに並んでいる人がブツクサ文句を言い始めて、喧嘩にもなりかねない。
しかもコピー代は、1枚10円、だから、1万円札の両替が必要になる。最初の内は、まず、近くの銀行で両替してから閲覧室に行かねばならなかった。最後の方になって事務所で両替をしてもらわなければならなかった。
全部コピーがとりおわると、事務所にいって、領収書を発行してもらう。枚数を記入する用紙に書き込んで、それと引き替えに領収書をもらう。勿論、コピー代は自分持ちで後で会社で精算してもらうので、給料日前に大抵発表があるので、悲惨だった。
会社にもどって、これを最初は手作業で分類をやっていたが、数日、夜9~10時までの残業になる。それも、大抵、コピーの取り漏れがあって、その部分を再び取りにいかないと、資料は完成しない。
新米の仕事だったが、実は、会社の中で、一番熟練がいる仕事だったので、みんないい加減にやっていた。私は、それが許せない性分だったので、会社で埃を被っていたFACOM9456で統計処理のプログラムを組んで、入力、分類、出力を自動化した。もう20数年前のことだ。
しかし、処理速度があまりにも遅く、汎用のプログラムがとろかったので、ラップトップのPC9801LVを自腹で購入して、それにクイックBASICで分類集計プログラムを組んで、処理をすると凄く処理が速いので、「これからは、オフコンよりもパソコンの時代や。」と思う様になった。
統計処理は新米の仕事とされていたが、新しく入って来た人はみんな退職して、先輩もみんな辞めてしまったので、未だに自分がこの仕事をやっている。
でも、今では、財務省の輸入通関統計がインターネットで閲覧出来て、必要な品目の分類出力、CSVデータでのダウンロードも可能、勿論、費用は無用。昔と比べたら天国と地獄の差。
http://www.customs.go.jp/toukei/srch/index.htm
しかし、農産物の場合は、関税による分類なので、細部の品目別の輸入データは得られないので、最近では、農林水産省の機関である植物防疫所の統計データベースを活用している。
http://www.pps.go.jp/TokeiWWW/src1200.jsp;jsessionid=F92372B9C5D73D2E4C0DA7E229FECC91?mode=2&doc=1
輸入通関統計は、月単位で、しかも2ヶ月遅れだが、こちらは、気の毒な係員の人が毎週土日に集計して月曜日に毎週、新しいデータがアップロードされている。勿論、月間、年間集計も出る。ここまでデータが新しいと実際のビジネスにも大変有効だと思う。
財務署の輸入通関統計は、もう30年以上も以前の分類のまま。最近の経済情勢の変化や特に輸入では、国内の消費需要の変化に対応しなくなっている。
こんな風に旧式なデータによって白書類が作成されているので、日本という国は、後進国にどんどん追い抜かされていくし、何時までも戦後経済の残影を引きずった輸出主導型の産業形態から転換出来ず、日本経済の後進性を露呈することになっているのだと思う。
第2楽章のギリシャ彫刻の乙女を思わせる静謐さ ― 2010/10/12 21:18
仕事が終わると、一杯やりながら、アナログレコードを聴くのが、最大の楽しみである。
音楽室には、オーディオシステムと椅子しか置いていないので、音も良く響く。(今後、鍵盤楽器を置く予定)
CDでは、聴く態度が散漫になってしまいがちだが、どうゆう訳か、アナログレコードでは、シンフォニーが1曲終わるまで、集中して耳を傾けてしまう。
LPを聴くシステムは、増幅素子はイコライザー、ラインアンプ、パワーアンプを含めて全て管球式で、イコライザーアンプが
4本、ラインアンプが2本、そして、写真のパワーアンプが5本、合計11本の真空管を使用している。(1本は、交流→直流変換用)
半導体素子は、イコライザーアンプ及びラインアンプの電源部のダイオードを除いて、使用していない。至って丈夫で、今年で作成して12年を迎えるが、真空管は1回交換したが、まったく故障はおきていない。市販のAV機器は、7~8年が寿命だが、これは、交換部品がある限り稼動し続ける。
今日聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第4番(アンドレ・クリュインタンス指揮、伯林フィルハーモニー管弦楽団)。
ベートーヴェンの交響曲の中で、以前は、奇数番号を中心に聞いていたが、3、5、7、9番を聴かなくなり、その後、2番も聴かなくなった。今、好んで聴いているのは、1番、4番、8番の3曲である。
別にベートーヴェンが嫌いなのではない。奇数番は、所謂名盤が数多あって、SP時代から、古楽器演奏に至るまで聞き尽くしてしまって、少し食傷してしまった。
しかし、1、4、8番はなんど聴いても飽きない。1番は、第1~2楽章、第4楽章が良い。特に第2楽章を気分が優れない時に聴くと治療効果がある。あの幼児が、トントンと歩いていく様な感じが心の慰めになる。
8番は、第1楽章はしつこい動機の繰り返しが7番並みであるので、少しウンザリだが、あの可憐なメトロノームを模して作曲された第2楽章とユーモラスなホルンのトリオが聴ける第3楽章のメヌエットが出色の出来である。このホルンの演奏が非常に難しい。昔、オットー・クレンペラー、フィルハーモニア菅の演奏会で、デニスブレインの演奏を聴いたが、さすがに上手だった。
しかし、4番は、特別だ。
第1楽章の導入部から主題の開始のワクワクする気分。第2楽章のギリシャ彫刻の乙女を思わせる静謐さ。第3楽章は少し弱いが、圧倒的な盛り上がり、速度感を持ったフィナーレが最後のコーダに向かって、また、静かな回想に戻り、ふと我に返ったかの様にアレグロで終わるコーダ。素晴らしい。
特に4番で何が優れているかと言えば、楽器法がどの交響曲よりも優れている点である。特にファゴットやビオラ、チェロ等の中低音楽器の用法が、以前のシンフォニーに比べて進歩している。その成果は、第5~第6番にも現れているが、かなり、表面的な効果を狙っているのに対して、第4番では、あくまでもインティメートな効果を狙っている点が素晴らしい。
楽器法の工夫による地味な渋い色彩感が、この曲の静謐な古典性の価値を一層高めていると言っても過言ではない。しかし、良い演奏は少ない。大抵の指揮者は、効果を狙ってあざとく演奏してしまう。
そういった点で、アンドレ・クリュインタンスは、フランスの指揮者の良さと伯林フィルの精緻な表現技術がブレンドされて、なんの作為もなくて、自然な音楽が流れていく。
こうした「自然な演奏」は、やはり、本来のアナログレコードと真空管アンプで聴いてこそ価値が発揮されるのだと僕は思う。
音楽室には、オーディオシステムと椅子しか置いていないので、音も良く響く。(今後、鍵盤楽器を置く予定)
CDでは、聴く態度が散漫になってしまいがちだが、どうゆう訳か、アナログレコードでは、シンフォニーが1曲終わるまで、集中して耳を傾けてしまう。
LPを聴くシステムは、増幅素子はイコライザー、ラインアンプ、パワーアンプを含めて全て管球式で、イコライザーアンプが
4本、ラインアンプが2本、そして、写真のパワーアンプが5本、合計11本の真空管を使用している。(1本は、交流→直流変換用)
半導体素子は、イコライザーアンプ及びラインアンプの電源部のダイオードを除いて、使用していない。至って丈夫で、今年で作成して12年を迎えるが、真空管は1回交換したが、まったく故障はおきていない。市販のAV機器は、7~8年が寿命だが、これは、交換部品がある限り稼動し続ける。
今日聴いたのは、ベートーヴェンの交響曲第4番(アンドレ・クリュインタンス指揮、伯林フィルハーモニー管弦楽団)。
ベートーヴェンの交響曲の中で、以前は、奇数番号を中心に聞いていたが、3、5、7、9番を聴かなくなり、その後、2番も聴かなくなった。今、好んで聴いているのは、1番、4番、8番の3曲である。
別にベートーヴェンが嫌いなのではない。奇数番は、所謂名盤が数多あって、SP時代から、古楽器演奏に至るまで聞き尽くしてしまって、少し食傷してしまった。
しかし、1、4、8番はなんど聴いても飽きない。1番は、第1~2楽章、第4楽章が良い。特に第2楽章を気分が優れない時に聴くと治療効果がある。あの幼児が、トントンと歩いていく様な感じが心の慰めになる。
8番は、第1楽章はしつこい動機の繰り返しが7番並みであるので、少しウンザリだが、あの可憐なメトロノームを模して作曲された第2楽章とユーモラスなホルンのトリオが聴ける第3楽章のメヌエットが出色の出来である。このホルンの演奏が非常に難しい。昔、オットー・クレンペラー、フィルハーモニア菅の演奏会で、デニスブレインの演奏を聴いたが、さすがに上手だった。
しかし、4番は、特別だ。
第1楽章の導入部から主題の開始のワクワクする気分。第2楽章のギリシャ彫刻の乙女を思わせる静謐さ。第3楽章は少し弱いが、圧倒的な盛り上がり、速度感を持ったフィナーレが最後のコーダに向かって、また、静かな回想に戻り、ふと我に返ったかの様にアレグロで終わるコーダ。素晴らしい。
特に4番で何が優れているかと言えば、楽器法がどの交響曲よりも優れている点である。特にファゴットやビオラ、チェロ等の中低音楽器の用法が、以前のシンフォニーに比べて進歩している。その成果は、第5~第6番にも現れているが、かなり、表面的な効果を狙っているのに対して、第4番では、あくまでもインティメートな効果を狙っている点が素晴らしい。
楽器法の工夫による地味な渋い色彩感が、この曲の静謐な古典性の価値を一層高めていると言っても過言ではない。しかし、良い演奏は少ない。大抵の指揮者は、効果を狙ってあざとく演奏してしまう。
そういった点で、アンドレ・クリュインタンスは、フランスの指揮者の良さと伯林フィルの精緻な表現技術がブレンドされて、なんの作為もなくて、自然な音楽が流れていく。
こうした「自然な演奏」は、やはり、本来のアナログレコードと真空管アンプで聴いてこそ価値が発揮されるのだと僕は思う。

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