源氏物語は、どの系統の本で読んでも、文庫本で読んでも、谷崎や与謝野、寂聴の現代語訳で読んでも、その文学価値はいささかも失われるものではない2010/11/15 16:11

 佛大でお世話になった上野先生の記事が佛大ワールドに載った。
http://www.bunet.jp/world/html/22_11/542_ouryou/index.html

 河内本とかテキスト論と玉鬘論が併記されているが、あまり、こなれていないので、難しい内容になっている。所謂、並びの巻で玉鬘巻の位置づけは重要だが、それと直接的にテキスト論と結びつけるのは、無理である。(自分のコンピュータによる本文解析をやって相関性を見つけることは出来なかった。)

 河内本のテキストデータを持っているが、全巻ではないので、本文の性格を客観的に分析出来ていない。上野先生は、別本系統の本文と類似点が見つかったとしているが、それも単純に論ずることは出来ない。

 大島本(青表紙)も河内本も所詮は、混合本文である。一方、別本については、古い系統の本文もあるが、何せ、青表紙と河内本以外を別本として、池田亀鑑先生が暫定分類してしまったので、そういうことになる。

 本気で、テキスト論をするには、戦前から続いているこれらの本文分類をコンピュータを導入した悉皆調査で、再分類を行って、その傾向を明らかにした上で分類しなければならない。

 源氏物語の内容的な成立論とテキスト論を同じ次元で考える段階には、未だ、源氏物語の研究は至っておらず、誰も、その段階に達している研究者等いないのどうしようもない。

 源氏物語は、どの系統の本で読んでも、文庫本で読んでも、谷崎や与謝野、寂聴の現代語訳で読んでも、その文学価値はいささかも失われるものではない。僕の様な素人は、その程度、源氏物語を楽しんで、精々、絵巻物でも眺める程度で良いと思っている。

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