俳句を始めてみて2010/11/23 22:19

 俳句を始めてみて、一番、難しいと思うのは、季語の扱いである。

 つまり、季寄せや歳時記等で季語を捜したりするのだが、それが、どうも僕の感覚、感情にそぐわないことが多い。

 地球温暖化等で、季節感がどんどん失われていく中で、季語を活かして俳句を詠むということ自体が現実遊離の様な感じ。

 季語が最低でも5文字。定型句に拘るとなれば、その表現枠は、僅か12文字になってしまう。

 童子の大会では、名の通った作品の5文字もしくは、7文字を抜いていれるゲーム(なんていうのかな)があって、ここに季語が入るとかこれが季語とか季語が重なっているのとかいろいろあった。

 補われる言葉の違いで句の感じが変わってくるが、それよりも、季語に似つかわしい語句を入れること自体が、大変であった。

 吟行で、写生・写生といっても、結局、名所旧跡に相応しい語句とその地域の風物に相応しい季語の取り合わせ、そこに自分のみたこと、感じたことを織り込むとなると、至難の技だと思った。

 俳句って季語がなければ駄目なのか、その句全体で、季節感を表しておれば季語が入らなくても良いとか思ったりする。

 また、定型で、かならずしも、5文字、7文字でなくても、4文字6文字7文字とかの組合せで、字余りが生じなければ良いのではないかと考えたりしてしまう。

 折角の名所旧跡を旅しても、既にその景物で常套的に使われている言葉と季語を組み合わせるだけでは、独創的な句なんて出来ない。

 当たり前の俳句で綺麗にまとまっておれば、それで良いのかな。
 すくなくとも、それでは、飽きっぽい自分は長続きしないと思う。

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