人が死に臨んで魂の「純化」ということが起こり、この様な光景が見えるのだと思う。2009/11/19 23:18

 プラトンの著作『パイドン』を読んでいると、いつも、就寝前に読んでいる仏説阿弥陀経に類似した表現が出てきたので驚いた。

 では、友よ、こう言われているのだ。(まるで如是我聞)まず第1に真の大地(極楽)は、上方から見ると、ちょうど一二枚の皮で縫い合わされた鞠の様に見え、色とりどりに色分けされている。その極楽では、全大地がこの様な色から成っていて、しかも、その色はこの地の色よりも遙かに明るく輝き、より純粋なのである。すなわち、そのある部分は、驚くばかりに美しい(深紫色)であり、他の部分は、金色、白いかぎりの部分は、白亜や雪よりも白く、同様にその他、色々な色からなり、それらの色は、われわれが見知っているかぎりの色よりも数多く、より美しい。(中略)事実、我々のところで珍重されているかの数々の宝石、紅玉、碧玉、緑玉、すべてこのようなものは、かの地の石のかけらにすぎない。だが、かの地では、宝石ならざる石はなく、しかも更に美しいのだ。

 この部分、仏説阿弥陀経の次の部分に相当するのではと思う。
 又、舎利弗極楽国土有七宝池。八巧徳水充満其中。池底純以金沙布地。四辺階道金銀瑠璃玻璃合成。上有楼閣。亦以金銀瑠璃玻璃シャーコー(字が出てこない)赤珠瑪瑙。而厳飾之。池中蓮華。大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光。微妙香潔。
 この類似点については、『霊界の研究』プラトン・カントが考えた「死後の世界」金森誠也著PHP文庫に指摘されている。

 僕も驚く程、類似している。しかし、プラトンの極楽と阿弥陀経の極楽浄土は似ているが、そこにおわします形而上的な存在については、プラトンは、抽象的に描くのみで、阿弥陀仏といった具体的な世界はみられない。

 何故、両者の極楽世界が類似しているのか、これから考えていかなければならないが、やはり、臨死体験が元になっているのではないだろうか。私も手術で死にかけた時に似た様な世界を空中浮遊して彷徨った幻覚をみたことがある。やはり極彩色の世界であり、光目映い世界である。あるいは、山で遭難しかけて、眠気と疲労で幻覚をみた時も五色の光が輪舞している様な不思議な物体に導かれて山上を浮遊する様な感じがした。

 プラトンは霊魂の不滅を説いたが、やはり大乗仏教では、霊魂は、そのままの形では存在をし続けないが、一層、純粋な姿に変化しながら、その仏性のあり方を示す点では、類似している。

 チベット仏教の死者の書でも同様な記述がみられるが、これは、むしろ輪廻の流れの中で表現されている。

 私は、輪廻というよりも、人が死に臨んで魂の「純化」ということが起こり、この様な光景が見えるのだと思う。

 仏説阿弥陀経は、お通夜の時に枕経として僧侶に読経されることが多いが、その読経によって、魂を純粋な世界に早く導こうとしているのだと思う。