佐久間清太郎からは、徐々に精気が失われ、やがて死に至る2009/11/01 09:50

 以前、白鳥由栄に関して、このブログに書いた後で、ある読者から吉村昭の『破獄』を読んだらとお薦めを受けたがほおっておいた。

 しかし、その後、なんとなく「破獄」が読みたくなって、ジュンク堂書店で購入。

 早速、読み始めた。主人公の名前は、佐久間清太郎。

 実際には、この人物だけの描写ではなくて、大正末期の破獄事件から、佐久間清太郎が無期刑の判決を受けて、昭和11年の青森刑務所に服役を始めるまでの刑務所の歴史等が、前史として描かれた後、年代順に、秋田刑務所、網走刑務所、札幌刑務所脱獄に至るまでがノンフィクション的に描かれていく。

 記述の内容としては、佐久間清太郎についての記述が20~30%程度みられるが、残りの70~80%が、刑務所が社会・パラダイムの変化でどの様に翻弄されていったかの記述にウエイトが置かれている。

 刑務所に関連する行政制度、法規で、収監・管理体制がどの様に変わっていったかが、経年的に記述されていく。昭和史の一側面といっても良い状況が、刑務所制度の視点から描かれていくのは、ユニークである。

 2.26事件についても簡単に描かれており、更に、その後の挙国一致体制の中で、収監者の扱いはどう変わっていったか。
 資料は、当時の新聞記事、刑務所関係者からの聴取、あるいは、囚人直々のインタビューもあったかも知れない。

 刑務所は、北海道から沖縄まで存在するが、全国の刑務所が戦中から戦後にかけて、どの様な状況に見舞われていったが、非常に詳細に記述されている。引用文献、資料の所在が明記されておれば、これはこれで貴重な学術資料になる。

 ところが、肝心の佐久間清太郎については、舎監からの視線、あるいは、やり取り、事実が描かれており、佐久間清太郎の心理も3人称的、観察的に描かれていて何やら、物足りない。でも、これが著者の個性というか、この作品の特性なんだろうと思う。

 破獄の技術についても書かれているが、もっと詳細な検証、分析が欲しかった。

 国民の死亡率と囚人の死亡率が戦前から戦中、戦後まで時代の推移を示す指標・示準として書かれているが、戦時中の食料配給制度の中で、網走刑務所の収監者の労働作業を行っている囚人に与えられた食事は、一般国民や舎監よりも上等であり、こっそり囚人食をつまみ食いしていた舎監が免職処分になった事件も扱われている。

 戦況の悪化の中で、看守の待遇は囚人に比される程ひどいものであった。しかし、それも戦況の悪化で、求人難となり、囚人の管理・監督が困難になっていく。

 そこで登場したのが、特警制度というもので、模範囚が重罪囚人を管理させる「自治組織・部隊」の様なものであった。

 しかし、これも、戦後に入ると、暴力団関係の囚人が幅を効かす様になり、刑務所長に力づくで、仮釈放を強要する事件まで発生する。
 戦後になって、政治犯が釈放され網走を出獄する宮本顕治の様な獄中非転向を貫いた政治犯の釈放の様子も描かれている。

 宮本は、東京の刑務所に収容されていたが、戦況の悪化で、爆撃によって囚人が逃走するのを防ぐ為に政治犯、凶悪犯は地方の刑務所に移送されたのだった。

 戦後も佐久間清太郎の破獄は続く。一番、破獄が困難だったのは、やはり網走刑務所であったろうと思うが、その後の札幌刑務所以降は、刑務所自体の管理能力の低下で、破獄は驚く程簡単であった。

 佐久間清太郎の脱獄が回を重ねるにつれて監視、拘束が強さを増していき、未来少年コナンに描かれている様な手錠や足枷で拘束され、犬の様な姿勢でしか食事をさせてもらえない。

 それでも佐久間清太郎は、看守との心理作戦でまず勝利を収め、心理的に圧倒し、ひるんだ隙に脱獄をする。刑務所側からは、脱獄ではなくて、「事故」という呼ばれ方をしているのが面白い。

 結局、刑務所における囚人管理の中で、最も重要なのは、分厚い壁や高い天井、容易に破壊されない拘束具ではなくて、舎監と囚人の心理的関係である。

 最後に収監された小菅刑務所では、佐久間清太郎は脱獄しなかった。それなりに人間性を尊重され、部屋に小鳥まで飼育することを許される。彼の視線は穏やかに変わり、「もう、疲れましたよ。」といって脱獄を止める。

 佐久間清太郎の目は穏やかになり、模範囚として、釈放されて工事現場で働く、最後に浅草の映画館で心臓発作を起こして死ぬ。拘束が解かれた佐久間清太郎からは、徐々に精気が失われ、やがて死に至る。

 でも、模範囚としての佐久間と脱獄を繰りかえした佐久間とでは、どちらが人間的魅力を持っているだろうか。
 
 つまり、佐久間清太郎は、拘束・抵抗・破獄という流れ中で、逆境への抵抗が壮年期を通じた人生のエネルギーだった。

 戦前・戦中の刑務所を取り巻く環境、国民全体が牢獄に閉じ込められた様な状況から、自由民主主義への変化で、国民の覇気も失われ、脱獄を諦めた佐久間と比較されている。

 戦前から戦後に至るパラダイムの変化に翻弄された国民全体の象徴として佐久間清太郎が描かれているのではないだろうか。

 文章表現等が読みづらい面があり、描写技術は今ひとつだが、内容的には充実した作品だと思った。

こんなに僅かな間で、気温が下がったことは、過去でもあんまり例がないのでは2009/11/03 09:41

 異常な寒さである。

 一度に初秋から真冬に変わった感じ。こんなに僅かな間で、気温が下がったことは、過去でもあんまり例がないのでは。

 心配した月末の大地震も発生しなかったが、太平洋赤道部分での地震の発生は続いている。異常気象と地震の関係はどうなのか。

 新型インフルエンザで死亡するケースが増えている。死亡率には変化がなくて、感染者が増えた為に死亡数が上昇したと考えることも出来るが、それよりも、ウイルス自体の変異や気温の低下とか様々な条件により、症状が凶悪化、死亡率が上昇した可能性もある。

 春先に流行が始まった時には、「案外軽い物だった。」という印象がもたれて、その記憶から、油断しがちだが、もはや春先に流行しかけたウイルスと現在のものとでは、かなり異なって来ている。

 感染を繰りかえしていく内に強い症状、感染力をウイルスは獲得してくのである。気温の低下、空気の乾燥と条件が揃ってしまった。

 タミフル等のインフルエンザ治療薬を投与後に症状が急激に悪化、死に至るケースがかなりの割合になっている。

 耐性があるウイルスの場合には、投与されるむしろ症状が悪化する。耐性があるといってもやはり、ウイルスには負荷がかかるので、生き延びようと必死になるので、症状が悪化するのだと思う。

 事前にタミフル耐性か否か等を検査出来れば死亡率が下がると思う。

 私は、これらの治療薬というのは、ウイルスも攻撃するが、身体の防御力、免疫力をも弱体化させるので、間違ったら、大変なことになるので、慎重な投与が必要だと思う。

 また、予防接種についても安全性、副作用への配慮は十分にすべきである。抗体の力が弱く、ウイルスに感染、発病してしまった場合には、当然、簡易検査で陽性が出るので、判定出来ず、誤診にもつながってくる。

 これがワクチン投与の怖さなのである。

なんでも飽きずにやってしまうのが僕の性格2009/11/03 22:42

PSP2000を買って約1年が経過。

なんでも飽きずにやってしまうのが僕の性格。

これまでずっと使って来たので、バッテリーカバーが止まらなくなったり傷みが目立ってきた。

でもパンドラ化しているので買い換える訳にはいかない。

ゲームは、リッジレーサー等他のゲームはフィニッシュしたが、最後まで残っていたのが、みんゴルで今も続けている。

ランクが上がる毎に難しいコースになるので、なかなか進めない。

今は、ようやくみんゴル大王で、プラチナランクという最終ステージに到達した。画面は、そのお祝いの画面。

私は、パターが凄く苦手。とにかく芝目が読めないし、傾斜とボールの転がる方向。あるいは、登りと下りとで、距離が違うので、この計算が難しい。

みんゴルが終わったら、GTのゲームを買おうと思う。

ストレス解消と精神衛生には、お掃除が一番良いかも2009/11/03 23:11

 今日は、購入した家の掃除で半日が終わった。

 鈴蘭台に到着したら、最初にダイエーに寄って、掃除用の洗剤とスポンジ、バケツ等を買い物。

 中に、ダイソーが入っていて、バケツも1コ100円というのには驚いた。今後も良い味方になりそうだ。

 その後、駅から家まで徒歩で、坂道を十数分歩いて到着。鈴蘭台の気温は、クーラーを入れていないのと弱冷にしたのと位の温度差が下界とあるので、凄く寒かった。

 幸い、家の様子には変化はなかった。昨日まで雨でどうなっていたか凄く気になった。(その後、原因を調査したところ雨樋の排水口が詰まっているのを発見。ベランダがプール状態になっていたのでは、雨が漏るのは当然。)

 「来年までには、引っ越しますので。」と、お土産のダージリンティーを持って向かい2軒、両隣へご挨拶。向かい2軒の人は気さくな人達で挨拶を受けて下さったが、両隣は居留守なのか、ベルを鳴らしても知らん顔。きっと警戒されているのだと思う。

 お向かいの2軒の人達は、どちらも犬を飼っている。犬を飼っている人って外向的というか社交性があるのかも。

 それから掃除を始める。これをみたらもう何もかも嫌になるキッチンから掃除に入った。

 これだけで3時間位かかって磨いたが、33年の経年変化、汚れは、クレンザー位では、落ちず、グリーンの名前を忘れたが、この洗剤も駄目で、一番、効果があったのが酸性の洗剤である。

 ステンレスにこびり付いた錆びを落とすには、クレンザーでは全く効果はない。タワシの柄のぶら下げ用の金具の部分でゴリゴリとやってから、酸性の洗剤をかけて、暫く置いてから、タワシの本体にクレンザーをふりかけたものでゴリゴリやるとある程度の汚れまでとれた。

上が掃除前で、下が掃除後。光沢が若干戻ってきた。

 タイルも同様にしてアルミ箔が張り付いてその剥がした後に油がこびり付いているのを除去するのに苦労した。少しだけ綺麗になった。こちらは上が掃除前で下が掃除後。タイルの方が汚れが落ちやすいようだ。

 その後で、水だけで汚れが取れるスポンジ-で磨いていく。それである程度まで汚れは落ちたが、やはり、完全には取れない。

黄ばみとか取れるまで掃除したい。

 どうにかこうにか嫌になる位汚いという状況ではなくなったので嬉しい。

 お掃除をしていると自分の心の中を綺麗にしている様な気分がして、疲れるけれど、少しだけ清々しい気分になるのが不思議。

 ストレス解消と精神衛生には、お掃除が一番良いかも。

 下の写真は、家の近くの林で撮影。

フォーミュラ-ニッポンは、是非とも開催を続けて欲しいと思う。2009/11/04 12:40

 昨年シーズン限りで、ホンダがF1撤退したが、今回、トヨタがF1を今季限りで撤退と報道に大ショック
http://www.asahi.com/business/update/1104/NGY200911040002.html
 
 その前日には、ブリヂストンがF1タイヤ供給を止めると報道。
http://www.asahi.com/business/update/1102/TKY200911020269.html

 アメリカの大手自動車メーカー倒産等、不況の影響とか地球温暖化とか最近は、モータリゼーションに逆風が吹いている。

 結局、F1やモータースポーツ自体が消滅、あるいは、変身していく過渡期の様な状況になろうとしている。交通機関もスピードを競うよりも、経済性、安全性を重視する様になったいうことか。
 
 とにかく日本勢はF1からは姿を消すことになる。この他、ルノー、BMW、フェラーリとこういった名だたるメーカーも撤退を発表したり、噂が流れている。

 もう終わりなんだと思う。

 フォーミュラ-ニッポンは、是非とも開催を続けて欲しいと思う。
(写真は記事とは関係ありません)

江戸期以来の封建的な上下関係が未だに尾を引いている2009/11/05 17:27

 新型インフルのワクチンが足りなくてパニックになっているようだ。

 既に感染に歯止めがかからない状態なので、ワクチン接種は手遅れかも知れない。
 
 もうここまで感染が拡大してしまったら、どの程度の効果があるのか疑いたくもなる。

 衆議院選挙が8月にあって、その間の一番重要な時の空白期間、その後の政権交代後の建武の新政を彷彿とさせる「口だけ、建前政権」になってからは、何事も進まない。

 年金保険庁の酷い対応に国民は、この2~3年間憤って来たが、民主党政権になってからは、厚労も農水も財務も総ての省庁が「年金保険庁化」している様な感じがある。

 どうして日本国内でのワクチン供給がASEAN等の発展途上国並みに不足して、遅れているのか。

 それは、厚生官僚・医師会・医薬産業・医療機器産業の癒着体質に根源があると思う。

 ワクチンの生産手法が鶏が1個1個タマゴを生むのに依存した驚く程、後進的な19世紀的な手法が未だに行われている。

 既に欧州やその他の国では、遺伝子レベルでの日本に比べて数十倍の生産技術が確立されているのに、我が国の医薬業界では、自分達の権益を守る為に後進性を敢えて維持してきた。

 こんなところに日本の医療の悪さ、まずさがあるのだと思う。医師や製薬会社との明治あるいは、江戸期以来の封建的な上下関係が未だに尾を引いている。

 ワクチンの量産技術を海外から導入しても設備償却が今年のシーズンでは無理なので、旧式のシステムでボチボチと生産が続けられている。(国家強制により、政府は、製薬会社等に新しいワクチン量産・開発を行われ、その費用についても、直ちに支援すべきであった。)

 医院・診療所はどこに言っても満杯。普通の風邪とか高血圧とか腹痛とかの患者が診察してもらえずに難儀している。

 馬鹿みたいなレセプトの電子化で、パソコンに不慣れな医師が、ポチクリポチクリカルテを作成する為に、診察時間が、数倍になり、待合部は座れない。(キーボードやマウスに熱中して、患者の顔や容体等殆ど観察せず、触診していない。)

 コンピュータとIT産業と医療の癒着の結果、強制的に推進されているが、その様な無駄なものよりも必要なものを優先し、無駄な診療費や薬代が削減出来る様な、競争原理の導入による医療費の縮小・診療の迅速化を推進してもらいたいものだ。

激腹痛!2009/11/06 19:39

 昨日の昼頃から悪寒がし始めて、いきなり強烈な下痢と発熱。

 いわゆるロタウイルスというのにやられたようだ。
 寒気が酷かったので、解熱剤を飲んで、ジッと横になっていた。
 
 一番楽なのが、やはり、お釈迦様の涅槃の姿勢。右下腹部が下の方が、なにやら痛みが和らぐ。

 寝ていると、指の先とか背中とかジクジク痛んで異常な感じ。

 1晩明けるとウソの様に楽になって、熱も微熱になった。

 午前中は仕事をいつも通りこなして、午後から、医者にいくと、「これは、腹の風邪やな。」ということで、簡単な漢方薬と抗炎症薬をもらう。

 こういった場合には抗生物質の処方はいけないらしい。抗生物質は、
逆に身体の抵抗力を弱めるので要注意。

 明日は、また、ボロ家の面倒を見に行かなければならない。
 憂鬱だ。

現代人の「住」には、建築物よりも、「住設」の方が重要で2009/11/07 23:07

 腹の具合もだいぶ収まって、今日も、ボロ家詣で。

 お昼前に家についたが、今日は、神戸親和女子大の学園祭なので、賑やかだった(と言っても、関大とか佛大の様なのに比べると上品なもの。)

 昼から雨漏屋さんのモリさんという方が、工事の見積もりに来られるのでまっている。この人のお名前も、私の氏名同様にボロ家に相応しい。ここでは、明かせないが、苗字と名前との組合せが私の場合は、強烈で、中古不動産屋さんの営業マンになったら良いのに思われる様な妙な名前である。

 モリさんが到着したが、クルマをとめる場所がないらしいので苦労されている。そう、家の前は、クルマの行き違いが出来ないので、駐車が出来ないのである。引越の時、どうしたら良いのか今から困っている。

 雨漏りの原因は、私が推定した通りベランダからの漏水であると断定された。結局、雨が貯まってプール状態になって、徐々に階下、特に、居間の屋根裏に浸透しているらしい。

 この家、ベランダだけが馬鹿でかいのでそれが気に入って買ったのに、それが裏目に出た。(天体望遠鏡と置いて観測出来るので。)

 結局、徹底的な漏水工事が必要で、地震の影響でベランダが水平が出ていないので、水が雨樋の方に流れないので、傾斜をつけた防水工場が必要というので、FRP防水工事を薦められた。

 また、その工事をする場合には、ベランダの内側内面もFRPを貼り付けるので、ベランダの上面のズラの鉄板も交換する必要がある。

 手すりも錆びていてボロボロで危険なので交換しないと危険と言われた。 結局、ベランダのリフォーム工事になってしまう。

 もの凄くお金がかかりそうなので無理だと思う。一応、見積もりをくれるそうだが、そんな金を払う位ならば、もっとマシな家を買っている。

 モリさんが帰られた後で雨樋の詰まりを自分で治した。

 簡単だった。

 何も難しいことはしていない。帚の柄で穴をホジホジしただけ。何やら波板屋根のカケラとか落葉等で膜が出来ていたので、つつくとボソボソと外れて落ちていった。

 ベランダから雨樋の受け口にも穴が空いているが、ずっと水が雨樋がつまってせき止められていたので、泥の壁が出来ていたので、これもホジホジで除去した。


 そうして、バケツに水を入れて実験的にベランダに流してみたら、綺麗に雨樋をつたって水が下に落ちて、側溝を濡らしていった。

 これで雨樋が機能する様になった。そうなれば、結局、ベランダの床をもともとウレタン防水塗装してあるのを塗り直すだけで良いのではないだろうか。

 但し、ベランダの柵は、ボロボロなので、取り替えないと危険なので、これは取り替える必要がある。こうなると必要な工事は、ベランダの床の防水塗装と柵の交換工事だけで済むと思う。

 それでもお金がかかるので、当面は放置か。

 このボロ家は、日当たりが良いだけが取り柄、暖房とか要らない位でまどろみながらゲームをして時間を潰す。

 3時に来るはずの大阪ガスの人が結局5時にやってきて開栓作業を行った。「開通式」は無事に終えたが、給湯器は室内用のがもはやないので、外置タイプしかなくて工事費込みで40万円もかかるという。

 一応、見積もりをくれるというが、大阪ガスはパスで、他のリンナイとノーリツの工事をやってくれる店にたのんだら、10万かそこらで済むらしい。

 ガスが出る様になったので、風呂を沸かしてみた。
 無事に沸いた。(この時ばかりは少し、嬉しかった。)

 結局、ベランダは当面は、放置(床は自分で塗り替えるか)、給湯器は、10万の奴にしようと思う。

 こんなボロ家に100万も費用をかける位ならば、住まずにリフォームの金を貯めておいてから、住環境を整えた方がマシだと思った。

 説明を聞いているとお腹がグーグーなってかっこ悪かった。下痢は止まったが、腹が鳴る音は続いていたので、恥ずかしかった。

 家から往復4時間、滞在時間6時間でくたびれた。

 裏庭というかスペースをみると何やら黄色い花が咲いていた。玄関の表には、桔梗とオミナエシが咲いていて、前の家の主は花が好きなようだった。

 最初にこの家を見学に来た夏には、朝顔の花がずっと咲き続けていたことが想い出される。

 それにしても賃貸のマンションの場合は、ガス栓を開けてもらって、直ぐに快適ライフをエンジョイ?出来たのに、エライ違いだ。

 現代人の「住」には、建築物よりも、「住設」の方が重要で、ずっとアメニティにつながっていることを痛感させられた。

1980年代.....凄く遠い過去になってしまった2009/11/08 23:34

 家を買って色々な煩雑な手続き、作業に疲れてしまって、今日は、自宅にずっと籠もっている。

 なにやら宙ぶらりんな不安な気持ちである。この気持ちのまま来年まで過ごさないと行けない。

 塞いだ気持ちで雑誌の山に手を伸ばすと、レコード芸術1984年10月号があった。

 私の部屋には、1970年代から1984年代の雑誌とかカセットとか、LPレコードとかがあって、それらを聴きながら雑誌を開いて寝転んで読むのが、何よりの楽しみである。

 再生装置は、さすがに当時のもので総ては揃えられないが、当時、発売されたYAMAHAのGT750というレコードプレイヤーとか管球アンプで再生された音楽を聴く。

 今日は、クナッパーツブッシュのワーグナー名演集(かつてロンドンで発売されていた2枚組のダイジェスト廉価版を聴く)

 レコードの良いのは、歌手から聴き手までの距離、背の高さ、口の大きさ、立ち位置等が手に取る様に判ることであり、優秀録音では、左側のヴァイオリンの前後までが分離して聞こえる。

 CDやSCDでは、ここまでの定位とか奥行きは期待できない。一方で、さすがにレンジ感とかSN比等は優れているが、かえってレンジの広さが聴いていて嫌になることがある。

 CDの音を少しでも良くする為には、良質のプリメインアンプのプリアウトとかプリアンプ(これは、むしろ、半導体の方が良い感じがある。)から管球パワーアンプに出力することで、インピーダンスのマッチング等に注意すれば、CDの欠点を抑えることが出来るが、それでも定位感の再現まではいかない。

 MCカートリッジの昇圧トランスは、自作品だが、今回、コイルの部分を更にグレードアップした部品に換えてみたら、驚く程、音が良くなった。

 ニルソンの声を聴きながら、レコード芸術の頁をめくる。

 最初に藁科雅美先生の記事が載っている。藁科先生も亡くなられて何年になるだろうか。
 
 当時、愛聴していたFM番組クラシックリクエストで素晴らしい解説を独特の嗄れた声でして下さったので、番組が凄く愉しかった。

 この人の解説で、ルドルフ・ケンペのブルックナーを初めて聞いた時の感動が蘇る。LPレコードのジャケットの解説も味わいがある独特の文章で、特に東ドイツの指揮者とかオーケストラに蘊蓄が深かった。

 次の頁には、「カラヤン、最新録音5点、カラヤンは進み続ける」という広告があった。

 カラヤン来日記念のシベリウスのLPレコードの宣伝が載っている。
 
 この年のカラヤンの大阪公演を完成してから間もない大阪シンフォニーホールに聴きに行ったのをつい最近の様に想い出される。

 カラヤン、ベルリンフィルのフォルテッシモよりも、当時の朝比奈・大フィルのフォルテッシモの方が、ずっとウルサク、実際の音も大きいが、ベルリンフィルの最弱音の繊細さ、小ささと輝く様な大音響との対比でカラヤンの演奏はキラキラと金銀の砂をまき散らした様な華麗さであった。

 カルロス・クライバー(この人もこの世の人ではない。)のベートーヴェンの交響曲第4番(バイエルン国立管弦楽団)のライブ演奏のLPが交響曲コーナー冒頭を飾っている。

 小石氏も諸井氏も口を極めて褒めている。このLP、私も買ったが、あんまり良い演奏ではないと思った。

 レコードの版元も大きな会社ではないので、盤質も今ひとつであった。CDの登場で徐々にLPレコードに各社とも力が入らなくなってきていて、プレスの品質・盤質の低下が目立っていた。

 (スケールが小さいし、コセコセしている。むしろ、日本公演のライブ録音の方が演奏は良い。)

 CBS・SONYの宣伝では、娘の様な顔をした中村紘子さんのショパンコンチェルトのLPレコードの広告が。(随分、若く見えるが、この時、既に何歳だったんだろう。)

 後は、フルトヴェングラーの指輪のチェトラ盤(ローマ放送交響楽団との演奏会形式のライブ)とか、フルトヴェングラー没後30周年ということで、CDがこの年から多数発売される様になっていく。

 最後に巻末をみると、音楽の友社の社員募集の広告が掲載されていて、当時、大学4年の私は、東京まで入社試験を受けにいった。(交通費自弁で、しかも、筆記試験が合格で面接までいったので、3回位往復して、驚く程の金がかかった。)

 結局、不合格......................

 この後、数社受けたが、総て不採用。
 最後に通った印刷会社も内定取り消し。

 25年前の私が、この広告を見なければ、人生は今とは変わっていただろうか。

 1980年代.....凄く遠い過去になってしまった。
 退行願望がどんどん強まっていく。

 こんな時代に戻りたいので、あんな1970年代後半に建築されたボロ家に惹かれるのかも知れない。(当時から殆ど手が加わっていない奇跡の物件である。)


 30年位経つと家はボロボロになるが、当時、購入したLPは、丁寧に手入れ保管されていたので、新品同様で、音も未だに鮮明、購入当時よりも鮮やかさが増した様な感じさえする。

 写真は藁科雅美氏の記事

9.古書の注釈を作らんと早く心がくべし2009/11/09 20:54

 9.古書の注釈を作らんと早く心がくべし

①さて、又、五十音のとりさばき、かなづかひなど、必ずこころがくべきわざ也。

○さて、また、五十音の取扱いかた(区別)、仮名遣い(用法)等を必ず心がけるべき技術である。

 古文の学習でも必ず、歴史的仮名遣いを学ぶが、江戸時代においては、仮名遣いの用法の乱れについては、所謂、四つ仮名を含めて、大きな問題であった。それは、仮名文章が書かれた平安時代から近世に至るまでの日本語の発音の変遷によるところが大きい。

 元禄時代には、「ジ」、「ヂ」、「ズ」、「ヅ」が完全に同音化してしまった。こうした状況を踏まえて1695年には、、『蜆縮涼鼓集』(けんしゅくりょうこしゅう)という、四つ仮名の書き分けのみを専用に扱った書籍が出版された。

 日本語の正確な文章を書く為には、まず、仮名遣い(五十音のとりさばき)を学修する必要があった。

 また、五十音のルーツを学ぶことは日本語の歴史を学ぶことでもある。本来、平仮名、片仮名は、漢字の音を示す、反切を説明するものであり、経典の音義研究に関わるものであった。平安時代中期の『孔雀経音義』や『金光明最勝王経音義』などがあり、「音義」とは、漢字の発音と意味を表した注釈書のことであり、仏教において梵字を漢字や仮名で書き表そうとしたことがその起源である。

「いろは」、「あめつちの歌」、「大為爾(たひに)の歌」等が五十音を学修する為の幼学教材となった。これらの内容については、中公新書の「日本語と辞書」(山田孝雄著)に詳しい。

 関大の国文科に進んでまず、学んだのが、この本であった。大学生といえども、「いろは歌」から始めるのが、国語・国文学を専修したものの宿命なのだ。

②語釈は緊要にあらず。

○語釈は、取りたてて直ぐに必要ではない。

③さて又、漢籍をもまじへよむべし。古書どもは、皆漢字・漢文を借りて記され、殊に孝徳天皇・天智天皇の御世のころよりしこなたは、万の事、かの国の制によられたるが多ければ、史どもをよむにも、かの国ぶみのやうをも大抵はしらでは、ゆきとどきがたき事多ければ也。

○さて、又、漢文で書かれた書物をもまじえて読んだ方が良いだろう。古い書物(仮名表記以前に書かれた資料)は、総て漢字・漢文を用いて記述されている。特に孝徳天皇や天智天皇の時代以降は、総ての物事が、中国の政治制度を模倣した事例が多いので、史書等を読む場合にも、漢文の読解力がなければ、どうにもならない訳である。

 私の場合は、関大生の時はサボっていて、殆ど漢籍を読む稽古をしなかった為に佛大の大学院(通信)にようやく入れてもらった後で、大変な苦労をした。同時に漢文が読解出来れば、国文学関連以外の仏典や西域(敦煌)文書、歴史書等の読解範囲が広がり、世界観が大きく変わったので、現役の大学生の時、もっと学んでおくべきだったと痛感した。

 漢文は受験用という暗いイメージがあるが、人文学の分野の研究者にとっては、必要不可欠なリテラシーである。

④但し、からぶみを見るには、殊にやまとたましひをよくかためおきて見ざれば、かのふみのことよきにまどはさるることぞ。此心得、肝要也。

○ただし、漢文を読む場合には、特に大和魂を堅持して見ないことには、漢文の姿形に惑わされてしまうので、この心得は、肝要なのだ。

やまとことばの表現は素朴で優しい。これに比べて、漢文は論理的で説得力があり、格好が良い。たしかに中国語は、論理的な言語に対して、日本語は、精神的な言葉である。スピリチュアルな面を決して忘れてはいけないのだと宣長は、ここで述べているのだと思う。

⑤さて、又、段々学問に入りたちて、事の大筋も大抵は合点のゆける程になりなば、いづれにあれ、古書の注釈を作らんと早く心がくべし。物の注釈をするは、すべてに大きに学問のためになること也。

○さて、又、段々と学問の世界に入っていて、その大筋について大体、納得・理解が出来る様になったならば、自分なりに古書の注釈を作ってみることである。物の注釈をすることは、総ての面で、学問の為になることなんだ。

 今、こうして、「うひ山ぶみ」について自分なりに注釈・考察を加えているが、必要なことだと思う。

 最近では、学部生はおろか、院生、ひいては、教員に至るまで、自分の専門分野の自分なりの注釈を続けている人があまりにも少ない。

 注釈の作業は、出版を目的にしていなければ、まったく利益(学位とか論文)につながらないので、嫌がってしないのである。

 従って、いつまでたっても注釈書1冊も出せない大学教授の先生さえも存在する。

 かつて近世文学の長友先生は、「注釈全集の1巻も出せないようでは、一人前の学者ではない。」ときっぱりと言われた。

 私の高校時代の恩師であるY先生に、私だけが見せていただいたが、古事記、源氏物語等の古典籍の注釈がビッシリと大学ノートに書き込まれておられた。

「ここの部分がいくら考えても判らないんだ。君は、どう思うかい。」等と尋ねられたこと等が記憶に残り、古典籍の世界にのめり込んでいく機会となった。

 先生は、私の出身校である県立高校の創立に尽力されたが、その合間に地道な研究を続けられておられた。毎朝5時におきて、源氏物語の注釈をコツコツと進めていくのが、何よりの楽しみであるとおっしゃられた。

 注釈を作るということは、自分が研究する古典作品の全体像を確立するということである。この作業を行わずに、いくら、国文学研究資料館の論文データベース等で先行研究をほじくり出して、他者を論って、問題提起を行っても、底の浅さは知れているのである。

 地道な作業を現代の大学教育・研究者の先生方は、忘れてしまわれておられる。