あかあかや あかあかあかや あかあかや2010/05/03 16:11

 昨日のうちに、実家からおうぶ山荘に戻って、今は、お酒を飲みながら、谷向こうの新緑の梢等を眺めて、明惠上人集を静かに読んでいる。

 上人集には、花宮殿というのが出てくる。

 恐らく釈迦が晩年を過ごしたところになぞらえてのことだろうが、麓には、藤の花が咲き乱れて、さながら、紫の雲の上にいる様な風情とある。

 実家も藤棚や、小さいものの蓮の池、蘭(エビネ)の花壇等があり、なんとも言えない香りが漂っている。

 明惠上人の花宮殿もこんなところだったのだろう。祖母が元気な自分は、和歌やお琴の会等が開かれて風流だったが、祖母が亡くなられて琴の音も絶えて久しくなっている。

 そんな無常を感じて、六甲の山奥のおうぶの里に引っ越してきたが、今、窓を開け放って本を読んでいるが、近くの校庭で遊ぶ子供達の声も清々しく、初夏に相応しいものにも感じる。

 明惠上人は、実に感性が鋭いというか、やはり時代の天才だったと思う。

 おうぶでは、高山に近い気候なのか、夕方から夜半には、冷やされた空気が再び下界に戻る為に強い風が吹く。

 昨夜、外に出てみると、雲がもの凄い速さで流れる中で、満月が山の端にかかって、あたかも流れる雲の上を進んでいるいる様な風情だった。

 法然上人は、有名な和歌を詠んでいる。

 「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」
 これは、浄土宗の宗歌として、
 「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」を象徴する和歌としての位置づけとなっているが、そんなことを離れて、「しみじみとした月を眺めて詠んだ歌」として、解釈した方が、楽しいし、むしろ法然上人の御こころに近づくことが出来るではないかしらと思っている。

 一方、明恵上人の
 「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかやあかあかや月」

これは、凄くインパクトがある。なにやら近世の俳人芭蕉の松島の句を想起させられるが、芭蕉よりも500年以上も前にこれだけの和歌を明恵上人は詠まれている。

 結局、法然上人と同じ「月影」を眺めて詠んだ和歌なので、「こころ」は同じ。

 但し、「こころ」・「意識」の解釈が片方は論理・説明的(理系)、片方は、感情・直接的(文系)の違いに過ぎないと思う。

 明恵上人は釈迦の教えに立ち返ろうとされたが、やはり、中世日本に至るまで大乗仏教の流れの中で、「唯識」の世界からついに出られなかった。つまり、「識」の世界の中で生きているのである。

 一方、法然上人は、識覚を超えたjダルマーカラから阿弥陀仏になられる心境(時空を自由に行き来できる)を和歌で表されたのである。

 この様にして、法然上人は、この歌を詠まれた時点では如来では、ないが、仏の世界からお月様の光を眺めて詠まれている。

 片や、明恵上人は、人間世界から、同じ月を眺めて、「あかあかや あかあかあかや あかあかや」と詠まれた。

 これは、人間の楽しみや・苦しみを共に生きて共感された仏陀の境地でもあると思う。

 阿弥陀仏と仏陀(明恵上人)、2人の心(意)は、同じ月の心に棲んで(澄んで)いるのだと思う。

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