階級的劣等感の象徴としての浮舟像2008/12/18 20:16

 日本の古典文学、いや、1000年前に成立したとされる文学作品で、人間の「劣等感」を描いた作品は、あっただろうか。

 源氏物語の場合は、まさに、上流と中流の階級意識と文化の相違に苦しむというか、実際に差別・区別されることによって生じる「劣等感」に苦しむ浮舟の姿を描いている。

 実際に浮舟には上流の女に必要な教養や洗練はみられず、薫も、大君のカタシロとしての愛し方しかしない。匂宮からの寵愛も激しいがこれも、恋愛ゲーム・競争が煽り立てた性愛である。

 八の宮の悲哀は、政争の敗者としての劣等感が、宇治という中央から離れた世界で、身分的な落層につながり、娘達の代、取り分け、召人腹の娘である浮舟に象徴されていく。

「自分は、玩具ににされても、決して、一人前の女性として扱われることはないのだ。」

 そういった劣等感と伴った階級意識が良く描かれる様になるのは、やはり、宇治十帖の巻に入ってからだと思う。

 源氏物語の登場人物の描かれ方をみても、明らかに第1部、第2部の作者と第3部(宇治十帖)とは異なった階級意識によって描かれていることが判る。それは、登場人物の発話の出現頻度によっても裏付けられる。

 修士論文で作成した源氏物語の階級別発話件数割合のグラフであるが、上段の男君の発話件数の割合は、第3部に入ると、やはり最も身分が高い薫が一番多く、匂宮は、幾分少なくなっている。これは、物語の筋立にもよるが、やはり、身分による描き分けであると思う。下段の階級別発話件数割合は、S階級(特権階級)、A、殿上人、B、侍従、C、召人、D、その他の割合である。面白いのは、特に、身分の低い人物の発話頻度が高いのは、浮舟が登場する辺りから際だっている。

 作者は、登場人物の言語生活にまで階級意識を持って描き分けていたのだろう。

 浮舟の女人としての苦悩、あるいは、階級的な劣等感を持つ言語生活の環境というものが、自然と描かれている。

 1000年前にこんなに、個人の人間の劣等感と苦悩について描かれた作品は、源氏物語以外にはないだろう。

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