ホテル代も出ないので、日当を削って充てることにする ― 2009/11/10 20:16
今、岡山の1泊4400円のビジネスホテルの部屋にいる。
仕事なので、やむを得ず、こんなところに泊まらなければならない。
今日は、夕方ギリギリまで決算発表があり、記事が間に合わないのでホテルにまでパソコンを持ち込んでやっと書き上げたばかり。
モバイルパソコンも全部自前だ。通信環境から機器まですべて持ち込みだ。
ホテル代も出ないので、日当を削って充てることにする。
日暮れに岡山駅に新幹線が到着したので、しばらくぶらぶらする。
以前にも紹介したデジタルアーカイブでは、カルタゴ展が年末まで開催されている。
また、NHKの方に向かう道には、こんなクリスマス風のイルミネーションが施されている。
もう、年末気分。何も準備できておらず、さぶーい年越しになりそうな予感がする。
体調が悪いのにこんなところに泊まりたくない
仕事なので、やむを得ず、こんなところに泊まらなければならない。
今日は、夕方ギリギリまで決算発表があり、記事が間に合わないのでホテルにまでパソコンを持ち込んでやっと書き上げたばかり。
モバイルパソコンも全部自前だ。通信環境から機器まですべて持ち込みだ。
ホテル代も出ないので、日当を削って充てることにする。
日暮れに岡山駅に新幹線が到着したので、しばらくぶらぶらする。
以前にも紹介したデジタルアーカイブでは、カルタゴ展が年末まで開催されている。
また、NHKの方に向かう道には、こんなクリスマス風のイルミネーションが施されている。
もう、年末気分。何も準備できておらず、さぶーい年越しになりそうな予感がする。
体調が悪いのにこんなところに泊まりたくない
空気のビタミン ― 2009/11/11 22:43
岡山に来て、「よいなぁ」と思う点は、空気が「甘い」というか美味しいことだ。
「空気のビタミン」とか言ってマイナスイオン照射器が販売されているが、そんな人工的な感じではないが、似たような快感である。
きっと山の空気と瀬戸内海の海の潮風が混ざって独特の味わいにブレンドされているのだと思う。
特に今日みたいに小糠雨が降っている天候の時は、余計にそう思う。
今日も、市電に乗車。なんと、岡山市電でpitapaが使えるのだ。料金は、140円(郵便局前から岡山駅)であるが、やはり、整理券をとる必要がないので便利。
pitapaやicカードに切り換えると、都市交通が人間にずっと優しくなると思った。
仕事で、酪農青年している人のとなり座る機会があったが、何かノンビリとノビノビしていて、大阪の青年とは違う面で良いと思った。
「空気のビタミン」とか言ってマイナスイオン照射器が販売されているが、そんな人工的な感じではないが、似たような快感である。
きっと山の空気と瀬戸内海の海の潮風が混ざって独特の味わいにブレンドされているのだと思う。
特に今日みたいに小糠雨が降っている天候の時は、余計にそう思う。
今日も、市電に乗車。なんと、岡山市電でpitapaが使えるのだ。料金は、140円(郵便局前から岡山駅)であるが、やはり、整理券をとる必要がないので便利。
pitapaやicカードに切り換えると、都市交通が人間にずっと優しくなると思った。
仕事で、酪農青年している人のとなり座る機会があったが、何かノンビリとノビノビしていて、大阪の青年とは違う面で良いと思った。
弥陀の光は、炎なのか ― 2009/11/12 22:27
今日は、佛教大学四条センター(京都三井ビル)で行われた安藤先生の講演「シルクロード西域南道の新発見壁画 I―描線の魅力、描線の誘惑」を拝聴する機会を得た。
これまで、ダンダンウィリク遺跡の調査の成果について安藤先生の講演にて、何度か接する機会を得たが、今回は、新発見の資料は少なかったものの、調査の結果についての考察が一層、深まり、先生のお話も非常に説得力があるつながりが出来ており、見事なものであった。
私の席の周囲で先生のお話を聞かれていた人達も見事というか鮮やかなお話の展開に感動し、心から喜んでいたのが印象に残った。
但し、私、個人的には、少し気がかりな点があった。
それは、炎肩仏の図像的な解釈であった。炎肩仏は、文字通り、肩から炎の様な三角形の突起が生じて描かれた仏達であるが、たしかに西域の仏教美術の特徴である。
しかし、この突起がなんであるかについては、本当に炎なのかという点である。
仏の持つ生命力・威力の象徴して炎が肩から立ち上がっている様に描かれているとの解釈で、仏の生命力にも通じるものであるとされている。
更に、安藤先生は、この様なコンセプトは、平等院の阿弥陀如来像にも活かされていると言われた。それは、光背の蓮華から放射する光があたかも肩から伸び上がっている様に見える点であると言われた。
この点、私は疑問を感じる。
阿弥陀如来は、「光の仏」であるが、この光は、果たして、炎なんだろうか。
私は違うと思う。人々を救済する純粋無垢の光であると思う。炎の様に邪気を焼き尽くす様な光ではない。
阿弥陀の光が蓮華の生命力が結晶して放散された光と認識することは辛うじて出来ても、炎肩仏の「炎」と同様に捉えることができるのだろうか。
仏教芸術の中での炎の描写については、最近の展覧でも話題になっている青不動の背後に燃える「カルラ火」が代表的なものであり、このカルラ火と北野天神絵巻に描かれた六道めぐりの地獄の業火との描写技法の類似性について指摘されているが、「罪を焼き尽くす炎」としての捉え方であり、「仏の生命力」、「阿弥陀の救済の光」とは、別物ではないだろうか。
平等院の阿弥陀仏や鳳凰堂は、阿弥陀経や観無量寿経の経典テクストを忠実に再現することに心が置かれており、西域仏教美術と直接的に結びついて論考することは、未だリスクが伴うと考える。
今後もダンダンウィリクやタマゴウ遺跡からは、これまでみられなかった様々な新発見が登場すると思われるが、その描画・彫像技法については、その遺跡あるいは近隣の遺跡との共通性について指摘することは妥当であっても、例えば、インド→シルクロード→日本の仏教文化の流れの中で、直接的に関連づけて解釈することは大きな危険が伴い、慎重であるべきだと思った。
それにしても久しぶりにインパクトのある講演であったと思う。
これまで、ダンダンウィリク遺跡の調査の成果について安藤先生の講演にて、何度か接する機会を得たが、今回は、新発見の資料は少なかったものの、調査の結果についての考察が一層、深まり、先生のお話も非常に説得力があるつながりが出来ており、見事なものであった。
私の席の周囲で先生のお話を聞かれていた人達も見事というか鮮やかなお話の展開に感動し、心から喜んでいたのが印象に残った。
但し、私、個人的には、少し気がかりな点があった。
それは、炎肩仏の図像的な解釈であった。炎肩仏は、文字通り、肩から炎の様な三角形の突起が生じて描かれた仏達であるが、たしかに西域の仏教美術の特徴である。
しかし、この突起がなんであるかについては、本当に炎なのかという点である。
仏の持つ生命力・威力の象徴して炎が肩から立ち上がっている様に描かれているとの解釈で、仏の生命力にも通じるものであるとされている。
更に、安藤先生は、この様なコンセプトは、平等院の阿弥陀如来像にも活かされていると言われた。それは、光背の蓮華から放射する光があたかも肩から伸び上がっている様に見える点であると言われた。
この点、私は疑問を感じる。
阿弥陀如来は、「光の仏」であるが、この光は、果たして、炎なんだろうか。
私は違うと思う。人々を救済する純粋無垢の光であると思う。炎の様に邪気を焼き尽くす様な光ではない。
阿弥陀の光が蓮華の生命力が結晶して放散された光と認識することは辛うじて出来ても、炎肩仏の「炎」と同様に捉えることができるのだろうか。
仏教芸術の中での炎の描写については、最近の展覧でも話題になっている青不動の背後に燃える「カルラ火」が代表的なものであり、このカルラ火と北野天神絵巻に描かれた六道めぐりの地獄の業火との描写技法の類似性について指摘されているが、「罪を焼き尽くす炎」としての捉え方であり、「仏の生命力」、「阿弥陀の救済の光」とは、別物ではないだろうか。
平等院の阿弥陀仏や鳳凰堂は、阿弥陀経や観無量寿経の経典テクストを忠実に再現することに心が置かれており、西域仏教美術と直接的に結びついて論考することは、未だリスクが伴うと考える。
今後もダンダンウィリクやタマゴウ遺跡からは、これまでみられなかった様々な新発見が登場すると思われるが、その描画・彫像技法については、その遺跡あるいは近隣の遺跡との共通性について指摘することは妥当であっても、例えば、インド→シルクロード→日本の仏教文化の流れの中で、直接的に関連づけて解釈することは大きな危険が伴い、慎重であるべきだと思った。
それにしても久しぶりにインパクトのある講演であったと思う。
無事権利書届く ― 2009/11/13 22:41
本日、司法書士の先生から無事に購入住宅の権利書が
届いた。
この書類を確認するまでは、全く安心出来なかったので、
書類が届いて正直嬉しかった。
でも、記載事項証明書の乙欄には、ローン保障会社の
抵当権が設定されている。
この乙欄が抹消されるまでは、一生懸命、お金を返し
続けなければ、本当に、このボロ家が自分のものに
ならない。
届いた。
この書類を確認するまでは、全く安心出来なかったので、
書類が届いて正直嬉しかった。
でも、記載事項証明書の乙欄には、ローン保障会社の
抵当権が設定されている。
この乙欄が抹消されるまでは、一生懸命、お金を返し
続けなければ、本当に、このボロ家が自分のものに
ならない。
仏説阿弥陀経と炎肩仏 ― 2009/11/13 23:05
昨日は、炎肩仏のことについて書いたが、実は、仏説阿弥陀経にこの炎肩仏の記載がみられる。
釈迦は最初に阿弥陀仏のことについて説かれるが、その後に東方世界
、南方世界、北方世界、下方世界、上方世界の各守護仏について触れられる。
つまり、釈迦は、仏のパンテオン・諸仏の不可思議の功徳の世界・宇宙世界を説明することで、改めて西方浄土世界の存在感を強調されておられる訳だ。
その中で炎肩仏は、北方世界におられる。
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/y%20bunkatu-3.htm
禅定印を結び結跏趺坐した仏陀の両肩から火炎が立ち上っている様子を示している。
ここで注意して欲しいのは、炎は、肩の上数カ所から立ち上っていること、また、仏陀は蓮華座に座られており、炎肩とは、別に光背が設けられている。
つまり、炎肩と光背とは、別物に扱われている。
更に、問題なのは、この炎肩は、複数の炎だが、タマゴウ遺跡の炎肩は、天使か鳥、あるいは、昆虫の羽の様に「葉脈」の様なものが見えて、ネズミかコウモリ、ほ乳類の耳の様に尖ったものが一対で構成されている。
この点も本来、炎肩仏とされていたものと異なっている。
また、中国等の仏教壁画では、北方世界を示す壁面に最勝音仏、難●仏、日生仏、網明等の諸物と共に描かれている。
但し、仏説阿弥陀経以外の記述らしいもの(典拠は不明)で、特にアフガニスタン等の地域でみられる仏陀像の中には、身体の下から水を拭いて、肩からは、炎を出している。シュラヴァステー城の神変と呼ばれるものらしくて、水遁・火遁の術を釈迦が行い、ついには飛行が可能になったという言い伝えもある。
つまり、この様な仏陀像を考えると、肩の突起は、炎の場合もあり、羽の場合もある。
つまり、仏陀のスーパーマンぶりを示した像ということになる。結局、シルクロードの西側に広く分布する仏陀像は、我々が知る経典に描かれたものとかなり異なっている。
この点について更に調査を行えば、ダンダンウィリクやタマゴウの壁画に描かれた仏達の姿の謎を解き明かせることもできるかも知れない。
釈迦は最初に阿弥陀仏のことについて説かれるが、その後に東方世界
、南方世界、北方世界、下方世界、上方世界の各守護仏について触れられる。
つまり、釈迦は、仏のパンテオン・諸仏の不可思議の功徳の世界・宇宙世界を説明することで、改めて西方浄土世界の存在感を強調されておられる訳だ。
その中で炎肩仏は、北方世界におられる。
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/y%20bunkatu-3.htm
禅定印を結び結跏趺坐した仏陀の両肩から火炎が立ち上っている様子を示している。
ここで注意して欲しいのは、炎は、肩の上数カ所から立ち上っていること、また、仏陀は蓮華座に座られており、炎肩とは、別に光背が設けられている。
つまり、炎肩と光背とは、別物に扱われている。
更に、問題なのは、この炎肩は、複数の炎だが、タマゴウ遺跡の炎肩は、天使か鳥、あるいは、昆虫の羽の様に「葉脈」の様なものが見えて、ネズミかコウモリ、ほ乳類の耳の様に尖ったものが一対で構成されている。
この点も本来、炎肩仏とされていたものと異なっている。
また、中国等の仏教壁画では、北方世界を示す壁面に最勝音仏、難●仏、日生仏、網明等の諸物と共に描かれている。
但し、仏説阿弥陀経以外の記述らしいもの(典拠は不明)で、特にアフガニスタン等の地域でみられる仏陀像の中には、身体の下から水を拭いて、肩からは、炎を出している。シュラヴァステー城の神変と呼ばれるものらしくて、水遁・火遁の術を釈迦が行い、ついには飛行が可能になったという言い伝えもある。
つまり、この様な仏陀像を考えると、肩の突起は、炎の場合もあり、羽の場合もある。
つまり、仏陀のスーパーマンぶりを示した像ということになる。結局、シルクロードの西側に広く分布する仏陀像は、我々が知る経典に描かれたものとかなり異なっている。
この点について更に調査を行えば、ダンダンウィリクやタマゴウの壁画に描かれた仏達の姿の謎を解き明かせることもできるかも知れない。
飲食店が多く、どれも値段が高そう ― 2009/11/15 17:06
昨日は、神戸市北区のボロ家の様子を見に行った後で、西宮北口で下車、阪急西宮ガーデンズを初めて訪問した。
西宮球場の跡地にオープンした商業施設だということで、オープン当時は、評判だったが、個人的にはあんまり関心はなかった。
今回、初めて実際の施設をみたが、一番面白いの西宮球場のギャラリーで、西宮球場時代の構内、複雑な縦横交差や球場の周囲の模型、あるいは、旧車両の模型等が展示されていて好感がもてた。
飲食店が多く、どれも値段が高そうで、1人では気楽に入る気分にならない。後は、映画館(映画も殆ど興味がないので意味がない。)、ジョーシン電気、イズミヤが入っている。
ボロ家には照明設備がないので、ペンダントライト等を捜しているが、ヨドバシのが2万円近くする(6畳間用)、ジョーシンでは、パナソニック以外のもので9000円位からある。イズミヤは、パナソニック製品でも1万円を切る値段で販売されているが、配達がゆうパックだし、デビットカードが使えないのでパス。
最近は、無駄遣いを防ぐ為にクレジットカードを持ち歩いていないので、買い物が制約を受けている。
撮影には、カシオのEX-H10を使用しているが、ややカサが大きくてハンドリングが少し不便なのを除くと、電池の持ちが脅威的。
購入して、最初に充電してから未だに電池マークは、フル充電表示
岡山出張の仕事の写真とかいろいろと写しているのに電池が殆ど減らないのは、魔法の様な気がする。
西宮球場の跡地にオープンした商業施設だということで、オープン当時は、評判だったが、個人的にはあんまり関心はなかった。
今回、初めて実際の施設をみたが、一番面白いの西宮球場のギャラリーで、西宮球場時代の構内、複雑な縦横交差や球場の周囲の模型、あるいは、旧車両の模型等が展示されていて好感がもてた。
飲食店が多く、どれも値段が高そうで、1人では気楽に入る気分にならない。後は、映画館(映画も殆ど興味がないので意味がない。)、ジョーシン電気、イズミヤが入っている。
ボロ家には照明設備がないので、ペンダントライト等を捜しているが、ヨドバシのが2万円近くする(6畳間用)、ジョーシンでは、パナソニック以外のもので9000円位からある。イズミヤは、パナソニック製品でも1万円を切る値段で販売されているが、配達がゆうパックだし、デビットカードが使えないのでパス。
最近は、無駄遣いを防ぐ為にクレジットカードを持ち歩いていないので、買い物が制約を受けている。
撮影には、カシオのEX-H10を使用しているが、ややカサが大きくてハンドリングが少し不便なのを除くと、電池の持ちが脅威的。
購入して、最初に充電してから未だに電池マークは、フル充電表示
岡山出張の仕事の写真とかいろいろと写しているのに電池が殆ど減らないのは、魔法の様な気がする。
給湯器までの遠い道のり ― 2009/11/16 21:37
中古住宅を購入する時に少なくとも2~3回は内見させて
もらいたいものだが、本当にあの短い時間では、十分に
内容を見極めることは出来ない。
専門的な評価が出来る人を買い主負担で、雇用して、
事前検査を請求したら受け入れる義務が売り主に対して、
生じる様な法律が出来ない限り、中古住宅や分譲住宅等
の適正な取引は、無理だと思う。
特に難しいのは、給湯器とか水回りの点であり、これは、内見
の時には、水道もガスも止まっている家もあるので、確認しよう
がない。
私の場合は、明らかに給湯器が壊れているのは事前に分かった
のだけれども、こんなに取り替えるのに手間と費用がかかるとは
思わなかった。
大阪ガス系のサービスショップでは、簡単に40万円とかいうが、
そんな費用が私には払える訳がない。
安い業者をなんとか見つけたが、工事は来月以降にならないと
出来ないらしい。(安い業者には引き合いが集中してどうしても
スケジュールが混み合ってしまうようだ。)
中古の家を買うときは、
①雨漏り、②水回り、③給湯器をチェックしたい。
これがクリア出来ていないと引越等絶対無理だと思う。
もらいたいものだが、本当にあの短い時間では、十分に
内容を見極めることは出来ない。
専門的な評価が出来る人を買い主負担で、雇用して、
事前検査を請求したら受け入れる義務が売り主に対して、
生じる様な法律が出来ない限り、中古住宅や分譲住宅等
の適正な取引は、無理だと思う。
特に難しいのは、給湯器とか水回りの点であり、これは、内見
の時には、水道もガスも止まっている家もあるので、確認しよう
がない。
私の場合は、明らかに給湯器が壊れているのは事前に分かった
のだけれども、こんなに取り替えるのに手間と費用がかかるとは
思わなかった。
大阪ガス系のサービスショップでは、簡単に40万円とかいうが、
そんな費用が私には払える訳がない。
安い業者をなんとか見つけたが、工事は来月以降にならないと
出来ないらしい。(安い業者には引き合いが集中してどうしても
スケジュールが混み合ってしまうようだ。)
中古の家を買うときは、
①雨漏り、②水回り、③給湯器をチェックしたい。
これがクリア出来ていないと引越等絶対無理だと思う。
結局、それぞれのポリシーで、「元伊勢」の地がどこにあるかを、決めておけばよいのだと思う。 ― 2009/11/17 22:49
今日、京都三井ビルにある佛教大学四条センターで斎藤英喜先生の講演を聴く。
会場は、驚く程の満員で、先生の人気の高さは凄い。
テーマは、「京都に棲まうアマテラス」なかなか面白い内容だった。
中世・応仁の乱前後の京都は、疫病が流行った。戦乱と流行病を鎮める為に、伊勢の地からアマテラス大御神を祀った神明社が分霊され、京都市内各地に作られていく様になる。
主なものでも、高松神神社、粟田口神明社、頼政神明、日降神明、伊勢大神宮、榊宮、朝日神明、高橋神明、宇治神明、そして、吉田神社(写真)である。
興味深いのは、必ずしも総てが伊勢本宮の許可を得て分霊されたものではなくて、無断のものや了解を得ていないものもみられた。特に粟田口神明社は、公式の御願ではなくて唱聞師によるいかがわしいものとして避難されたようだ。
結局のところ、都に多くの神明社が分霊されることでお伊勢さん、特に内宮の神威が損なわれることを心配したようだ。
いくつか社をみせていただいたが、共通しているのは、縦横の千木削ぎ方の形状で、内宮と外宮とでは、当然異なるが、先生は指摘されなかったが、総ての千木が「通し千木」であるということが神明社としての権威を示している。
色々と神社建築を研究したが、通し千木がおける社は、豊明様式(伊勢の権威)を示す社に限定されており、出雲大社、住吉大社でも置き千木である。
最大の権威である吉田神社は、卜部家の権威を示し、中世吉田神道(吉田兼倶)の元祖となったところである。卜部家のシンボルでる亀甲(占いに用いた)をシンボル化した社殿の屋根の形状、内宮と外宮が合成された千木、そして仏教との習合さえも示す宝珠である。
結局、中世伊勢神道は、応仁の乱前後の神明社の勧請が大きなきっかけになった事を示唆しており、日本神道史の中でも重要な出来事だった。
京都の神明社については、先生によれば、未だ総てが解明されていないということで、これらの調査を進めていくことで、新たな中世神道の姿を浮かび上がらせることで出来るかも。
でも、中には、ビルの谷間に小さなお社があるだけだったり、結構、チャッチイものが多い。それそれで面白みがあるので、一度、調査してみようと思う。
講義の後半は、所謂、「元伊勢」について。「元伊勢」については、古くは、日本書記に典拠があるが、特に、丹後の国、籠神社は、伊勢外宮祭神のトヨウケとも関連が深く、中世神道の展開の中で、外宮勢力によって、「元伊勢」の権威が、天御中主大神に神威にフューチャーアップされた経緯がある。
「元伊勢」とは、伊勢神宮にアマテラスがお祀りされる以前に最初は、大和、近江、美濃、そして伊勢の地に辿り着く経緯の中で、日本書記の記述にはない、その途中に、丹後吉佐宮に立ち寄った伝承を含めて言われる信仰である。
「元伊勢」の地をめぐって、現在でも福知山市大江町と京都府宮津市にあったと主張する人達が峻烈な対立抗争を繰り広げている。明治政府が、正統な「元伊勢」として認定した大江町を主張する人も多い。
今年の5月に、このブログにも書いたが、京都府立丹後郷土資料館(ふるさとミュージアム丹後)で開催された文化財講座「アマテラス神話と中世伊勢信仰」(講師、佛教大学 斎藤英喜先生)を受講する為にはるばる天橋立まで日帰り旅行した。
http://fry.asablo.jp/blog/2009/05/23/4320615
その折りにも「大江町説」を主張される人が、当日の先生が提示された資料である「倭姫命世記」「御鎮座伝記」、「御鎮座次第記」、「丹後國一宮深秘」等の資料が、「果たして正統な根拠あるのか、疑問であると。」と、鋭い反論をされた郷土史家風の人が恐かったことを覚えている。
結局、中世伊勢神道、元伊勢信仰に纏わる資料については、独自資料であり、日本の文献史等を俯瞰しても、独自資料の正当性を証明することは、新たな資料の発見か、あるいは、籠神社等を発掘して、元伊勢伝承を裏付ける様な祭祀施設等が発見されれば、証明が可能であるが、現状では、その様なことは不可能であるので、学問的実証することは出来ないと思う。
結局、それぞれのポリシーで、「元伊勢」の地がどこにあるかを、決めておけばよいのだと思う。
先生は、抜け目なく、「詳しいことは、私が書いた『読み替えられた日本神話』を参考にして下さい。立ち読みではなくて、本当に買って下さいよ。」と宣伝された。
講座が終わると外は真っ暗で、冷たい雨が未だ降り続いていた。今日聴いた、「元伊勢」のお話は、今年5月から半年の間をおいて、斎藤先生が新たな結論を提起してくれたと思うので、今年の神道・神話に関する学習の私なりの締めくくりになったのではと満足した。
会場は、驚く程の満員で、先生の人気の高さは凄い。
テーマは、「京都に棲まうアマテラス」なかなか面白い内容だった。
中世・応仁の乱前後の京都は、疫病が流行った。戦乱と流行病を鎮める為に、伊勢の地からアマテラス大御神を祀った神明社が分霊され、京都市内各地に作られていく様になる。
主なものでも、高松神神社、粟田口神明社、頼政神明、日降神明、伊勢大神宮、榊宮、朝日神明、高橋神明、宇治神明、そして、吉田神社(写真)である。
興味深いのは、必ずしも総てが伊勢本宮の許可を得て分霊されたものではなくて、無断のものや了解を得ていないものもみられた。特に粟田口神明社は、公式の御願ではなくて唱聞師によるいかがわしいものとして避難されたようだ。
結局のところ、都に多くの神明社が分霊されることでお伊勢さん、特に内宮の神威が損なわれることを心配したようだ。
いくつか社をみせていただいたが、共通しているのは、縦横の千木削ぎ方の形状で、内宮と外宮とでは、当然異なるが、先生は指摘されなかったが、総ての千木が「通し千木」であるということが神明社としての権威を示している。
色々と神社建築を研究したが、通し千木がおける社は、豊明様式(伊勢の権威)を示す社に限定されており、出雲大社、住吉大社でも置き千木である。
最大の権威である吉田神社は、卜部家の権威を示し、中世吉田神道(吉田兼倶)の元祖となったところである。卜部家のシンボルでる亀甲(占いに用いた)をシンボル化した社殿の屋根の形状、内宮と外宮が合成された千木、そして仏教との習合さえも示す宝珠である。
結局、中世伊勢神道は、応仁の乱前後の神明社の勧請が大きなきっかけになった事を示唆しており、日本神道史の中でも重要な出来事だった。
京都の神明社については、先生によれば、未だ総てが解明されていないということで、これらの調査を進めていくことで、新たな中世神道の姿を浮かび上がらせることで出来るかも。
でも、中には、ビルの谷間に小さなお社があるだけだったり、結構、チャッチイものが多い。それそれで面白みがあるので、一度、調査してみようと思う。
講義の後半は、所謂、「元伊勢」について。「元伊勢」については、古くは、日本書記に典拠があるが、特に、丹後の国、籠神社は、伊勢外宮祭神のトヨウケとも関連が深く、中世神道の展開の中で、外宮勢力によって、「元伊勢」の権威が、天御中主大神に神威にフューチャーアップされた経緯がある。
「元伊勢」とは、伊勢神宮にアマテラスがお祀りされる以前に最初は、大和、近江、美濃、そして伊勢の地に辿り着く経緯の中で、日本書記の記述にはない、その途中に、丹後吉佐宮に立ち寄った伝承を含めて言われる信仰である。
「元伊勢」の地をめぐって、現在でも福知山市大江町と京都府宮津市にあったと主張する人達が峻烈な対立抗争を繰り広げている。明治政府が、正統な「元伊勢」として認定した大江町を主張する人も多い。
今年の5月に、このブログにも書いたが、京都府立丹後郷土資料館(ふるさとミュージアム丹後)で開催された文化財講座「アマテラス神話と中世伊勢信仰」(講師、佛教大学 斎藤英喜先生)を受講する為にはるばる天橋立まで日帰り旅行した。
http://fry.asablo.jp/blog/2009/05/23/4320615
その折りにも「大江町説」を主張される人が、当日の先生が提示された資料である「倭姫命世記」「御鎮座伝記」、「御鎮座次第記」、「丹後國一宮深秘」等の資料が、「果たして正統な根拠あるのか、疑問であると。」と、鋭い反論をされた郷土史家風の人が恐かったことを覚えている。
結局、中世伊勢神道、元伊勢信仰に纏わる資料については、独自資料であり、日本の文献史等を俯瞰しても、独自資料の正当性を証明することは、新たな資料の発見か、あるいは、籠神社等を発掘して、元伊勢伝承を裏付ける様な祭祀施設等が発見されれば、証明が可能であるが、現状では、その様なことは不可能であるので、学問的実証することは出来ないと思う。
結局、それぞれのポリシーで、「元伊勢」の地がどこにあるかを、決めておけばよいのだと思う。
先生は、抜け目なく、「詳しいことは、私が書いた『読み替えられた日本神話』を参考にして下さい。立ち読みではなくて、本当に買って下さいよ。」と宣伝された。
講座が終わると外は真っ暗で、冷たい雨が未だ降り続いていた。今日聴いた、「元伊勢」のお話は、今年5月から半年の間をおいて、斎藤先生が新たな結論を提起してくれたと思うので、今年の神道・神話に関する学習の私なりの締めくくりになったのではと満足した。
タイコ社からテイジン製へ ― 2009/11/18 22:05
今日は、睡眠時無呼吸症の治療を受けているKクリニックの月1の通院日。
使用しているCPAPの機種、GK420シリーズをタイコヘルスケアジャパンが取扱を中止するということで、機種変更を行って、テイジンのオートセットC,S(写真)に換えてもらう。
タイコの機械はフランス製、テイジンのは、オーストラリア製であるが、こちらの方が、作りは、医療機器としての最低基準をクリアしていると言える内容。
実際に操作してみると、非常に音が静粛だし、マスクのフィット感などもずっと良い。
今の病院に通院して機械がタイコ社に変更になったが、その時は、機械が軽くなったので、納得していたものの、騒音が酷く、台風の中で寝ている様な感じで実際にその様な夢を見た。
テイジンの機械は、最初に大阪警察病院で診療を受けていた時にもらった機械で、音は静かで使用感も良かったが、あまりにも機械が大きすぎて出張等に持って行けなかった。
今回のオートセットC,Sは、軽量化されており、サイズは、タイコ社と遜色なく、前面の部品を外すと更にスリムになる仕組み。但し、重量は3キロを越えてくるので重い。
その重さの理由としてタイコ社製は、ACアダプタが別に必要だが、テイジンの機械は、内蔵されているので、そのトランスや電源装置の分だけ重量が重いのだ。
タイコ社の機械が嫌になっていたところなので、テイジンの機械に換えてもらって非常に喜んでいる。
CPAPって鼻から圧力空気を送り込んで強制呼吸させる機械だが、その装置次第で、よく眠れたり、そうでなかったりする睡眠の質を考えれば、重要な機械だと思う。
毎月5千円弱のレンタル料を支払っているのだから、良い装置が使いたくなる。
使用しているCPAPの機種、GK420シリーズをタイコヘルスケアジャパンが取扱を中止するということで、機種変更を行って、テイジンのオートセットC,S(写真)に換えてもらう。
タイコの機械はフランス製、テイジンのは、オーストラリア製であるが、こちらの方が、作りは、医療機器としての最低基準をクリアしていると言える内容。
実際に操作してみると、非常に音が静粛だし、マスクのフィット感などもずっと良い。
今の病院に通院して機械がタイコ社に変更になったが、その時は、機械が軽くなったので、納得していたものの、騒音が酷く、台風の中で寝ている様な感じで実際にその様な夢を見た。
テイジンの機械は、最初に大阪警察病院で診療を受けていた時にもらった機械で、音は静かで使用感も良かったが、あまりにも機械が大きすぎて出張等に持って行けなかった。
今回のオートセットC,Sは、軽量化されており、サイズは、タイコ社と遜色なく、前面の部品を外すと更にスリムになる仕組み。但し、重量は3キロを越えてくるので重い。
その重さの理由としてタイコ社製は、ACアダプタが別に必要だが、テイジンの機械は、内蔵されているので、そのトランスや電源装置の分だけ重量が重いのだ。
タイコ社の機械が嫌になっていたところなので、テイジンの機械に換えてもらって非常に喜んでいる。
CPAPって鼻から圧力空気を送り込んで強制呼吸させる機械だが、その装置次第で、よく眠れたり、そうでなかったりする睡眠の質を考えれば、重要な機械だと思う。
毎月5千円弱のレンタル料を支払っているのだから、良い装置が使いたくなる。
人が死に臨んで魂の「純化」ということが起こり、この様な光景が見えるのだと思う。 ― 2009/11/19 23:18
プラトンの著作『パイドン』を読んでいると、いつも、就寝前に読んでいる仏説阿弥陀経に類似した表現が出てきたので驚いた。
では、友よ、こう言われているのだ。(まるで如是我聞)まず第1に真の大地(極楽)は、上方から見ると、ちょうど一二枚の皮で縫い合わされた鞠の様に見え、色とりどりに色分けされている。その極楽では、全大地がこの様な色から成っていて、しかも、その色はこの地の色よりも遙かに明るく輝き、より純粋なのである。すなわち、そのある部分は、驚くばかりに美しい(深紫色)であり、他の部分は、金色、白いかぎりの部分は、白亜や雪よりも白く、同様にその他、色々な色からなり、それらの色は、われわれが見知っているかぎりの色よりも数多く、より美しい。(中略)事実、我々のところで珍重されているかの数々の宝石、紅玉、碧玉、緑玉、すべてこのようなものは、かの地の石のかけらにすぎない。だが、かの地では、宝石ならざる石はなく、しかも更に美しいのだ。
この部分、仏説阿弥陀経の次の部分に相当するのではと思う。
又、舎利弗極楽国土有七宝池。八巧徳水充満其中。池底純以金沙布地。四辺階道金銀瑠璃玻璃合成。上有楼閣。亦以金銀瑠璃玻璃シャーコー(字が出てこない)赤珠瑪瑙。而厳飾之。池中蓮華。大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光。微妙香潔。
この類似点については、『霊界の研究』プラトン・カントが考えた「死後の世界」金森誠也著PHP文庫に指摘されている。
僕も驚く程、類似している。しかし、プラトンの極楽と阿弥陀経の極楽浄土は似ているが、そこにおわします形而上的な存在については、プラトンは、抽象的に描くのみで、阿弥陀仏といった具体的な世界はみられない。
何故、両者の極楽世界が類似しているのか、これから考えていかなければならないが、やはり、臨死体験が元になっているのではないだろうか。私も手術で死にかけた時に似た様な世界を空中浮遊して彷徨った幻覚をみたことがある。やはり極彩色の世界であり、光目映い世界である。あるいは、山で遭難しかけて、眠気と疲労で幻覚をみた時も五色の光が輪舞している様な不思議な物体に導かれて山上を浮遊する様な感じがした。
プラトンは霊魂の不滅を説いたが、やはり大乗仏教では、霊魂は、そのままの形では存在をし続けないが、一層、純粋な姿に変化しながら、その仏性のあり方を示す点では、類似している。
チベット仏教の死者の書でも同様な記述がみられるが、これは、むしろ輪廻の流れの中で表現されている。
私は、輪廻というよりも、人が死に臨んで魂の「純化」ということが起こり、この様な光景が見えるのだと思う。
仏説阿弥陀経は、お通夜の時に枕経として僧侶に読経されることが多いが、その読経によって、魂を純粋な世界に早く導こうとしているのだと思う。
では、友よ、こう言われているのだ。(まるで如是我聞)まず第1に真の大地(極楽)は、上方から見ると、ちょうど一二枚の皮で縫い合わされた鞠の様に見え、色とりどりに色分けされている。その極楽では、全大地がこの様な色から成っていて、しかも、その色はこの地の色よりも遙かに明るく輝き、より純粋なのである。すなわち、そのある部分は、驚くばかりに美しい(深紫色)であり、他の部分は、金色、白いかぎりの部分は、白亜や雪よりも白く、同様にその他、色々な色からなり、それらの色は、われわれが見知っているかぎりの色よりも数多く、より美しい。(中略)事実、我々のところで珍重されているかの数々の宝石、紅玉、碧玉、緑玉、すべてこのようなものは、かの地の石のかけらにすぎない。だが、かの地では、宝石ならざる石はなく、しかも更に美しいのだ。
この部分、仏説阿弥陀経の次の部分に相当するのではと思う。
又、舎利弗極楽国土有七宝池。八巧徳水充満其中。池底純以金沙布地。四辺階道金銀瑠璃玻璃合成。上有楼閣。亦以金銀瑠璃玻璃シャーコー(字が出てこない)赤珠瑪瑙。而厳飾之。池中蓮華。大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光。微妙香潔。
この類似点については、『霊界の研究』プラトン・カントが考えた「死後の世界」金森誠也著PHP文庫に指摘されている。
僕も驚く程、類似している。しかし、プラトンの極楽と阿弥陀経の極楽浄土は似ているが、そこにおわします形而上的な存在については、プラトンは、抽象的に描くのみで、阿弥陀仏といった具体的な世界はみられない。
何故、両者の極楽世界が類似しているのか、これから考えていかなければならないが、やはり、臨死体験が元になっているのではないだろうか。私も手術で死にかけた時に似た様な世界を空中浮遊して彷徨った幻覚をみたことがある。やはり極彩色の世界であり、光目映い世界である。あるいは、山で遭難しかけて、眠気と疲労で幻覚をみた時も五色の光が輪舞している様な不思議な物体に導かれて山上を浮遊する様な感じがした。
プラトンは霊魂の不滅を説いたが、やはり大乗仏教では、霊魂は、そのままの形では存在をし続けないが、一層、純粋な姿に変化しながら、その仏性のあり方を示す点では、類似している。
チベット仏教の死者の書でも同様な記述がみられるが、これは、むしろ輪廻の流れの中で表現されている。
私は、輪廻というよりも、人が死に臨んで魂の「純化」ということが起こり、この様な光景が見えるのだと思う。
仏説阿弥陀経は、お通夜の時に枕経として僧侶に読経されることが多いが、その読経によって、魂を純粋な世界に早く導こうとしているのだと思う。
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