愚かな風潮2008/08/29 12:48

 世の中「世界遺産!世界遺産!」と騒いでいるが、果たして意味があるんやろか。
 愚かな風潮である。
 まず、「遺産」という言葉に引っかかる。それは2つの意味がある。
 1つは、マテリアルとしての遺産である。つまり、地域を貴重な「お宝」扱いすると言う点である。そうなれば、実際には、住民や自然、動植物が集合した生命体である「地域」の物質的な側面のみを重視することになる。
 もう1つは、「遺産」という言葉には、過去の遺物という意味もある。つまり、実際に現在、そこで生活している人々や自然の営みを顧みないことにつながると言う点である。
 「地域起こし」、「地域づくり」といった言葉とコラボして、世界遺産が語られ、是非とも指定を受けようとする。
 指定を受ければ、外つ国や日本のよそ者が多く、この地に観光の目的で訪れて、お金を落としていく。
 しかし、実際には、現在、富士山の世界遺産指定で問題になっている様に、一部の人の利益になっても、実際に地元に根を下ろして暮らしている人達のささやかな生活を壊してしまうことにもなりかねない。
 実際に石見銀山が世界遺産の指定を受けて、大勢の観光客がやってきて、旅館・観光組合は大喜びだが、地域の住民は、交通インフラの混雑、地域の汚染、治安の悪化等、様々なこれまで経験しなかったマイナス面に悩まされている。
 世界遺産→グローバルという視点になるが、そもそもアメリカ型グローバリズム文化・経済が行き詰まりを見せており、それに巻き込まれた日本も危うい立場になっていることに気がつかないのだろうか。
 世界的な価値観の普遍性を求める気持ち、それは、自国の文化に自信がないことへの表明でもある。
 仏像や絵画でも国宝・重文・地域文化財指定といったランクづけがされており、こういったものを対象に行われる研究もこの様なランク分けの先入観の影響を受けやすく、それが、学問の進歩・発展の弊害となっている。
 常民の立場で物事を考え、眺めることがつねづね大事なことだと考えている。

 図は、世界文化遺産切手シリーズ。

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