Y先生、Oさん2010/08/11 18:08

 佛教大学社会学部応用社会学科に在籍していたのが、今から6年前の2004年4月から2006年3月までの期間。

現在は、社会学部が改組されて、現代社会学科と公共政策学科に分離。応用社会学科で地域プロジェクト関連は、公共政策学科に継承されている。

 応用社会学科で一番、大変で印象に残っているのが、やはり実習のスクーリングである。

 楽洛まちぶら会のみなさまに大変お世話になり、Y先生のご指導のもとで、フィールドワークの真似事の様なことをさせていただいた。

 Y先生は、今年もスクーリングのご指導を元気でされているという。

 5年前のスクーリング当日の目標は、お世話になる楽洛まちぶら会の人達や地域社会と直接接触し、貴重なお話をいろいろうかがったり、写真を撮影したり、それらの情報をまとめて、グループでレポート、発表するというのが中心目標だったと思う。

 特に「聞き取る」ということを、重点的にY先生は指導されていた。
 僕は、Y先生の横に座っていたので、「なんで、こんなことを聞かないのよ。」と叱責されたことを記憶している。

 そういった意味で業界紙の取材の仕事の役にも少しはたったと思っている。

 写真は、フィールド調査実習の翌日の発表の風景。

 この時の調査で僕の「京都」という街の認識が変わったと言えそうだ。

 応用社会学科やその前の佛大大学院(通信)に通う様になって夕方の京都の通りを歩くのが日常的になり、そのときに夕餉のにおいとか、様々な生活臭を嗅ぐ様になって、京都という町への認識は徐々に変化し始めてきたが、やはり、京都と言えば、観光地というイメージが強かった。

 実際そうであり、三条通りにも様々な明治期の近代建築が残されているが、それだけではなくて、その通りで毎日を過ごされている皆様の「暮らし」という点に目が向くようになってきた。

 それが、「生きた京都の町」なのだとおぼろげながらもわかり始めた。

 5年前の夏の実習で、こうした「生きた京都の町」というのに触れることが出来たこと、町づくり活性化に関わる人たちが何を考えて、どの様に行動しているかを知ることが出来て、一層の親近感が増して良かったと思っている。

 5年前の三条通りは、今よりも、少し寂しい通りだった。

 実際、実習調査が実施された5年前には、若干人通りが少なかった。 ところが、今では、まちづくりの効果で人が増えすぎて歩きにくい位である。
 
  これは、まちぶら会の皆様がご活躍された大きな成果だと思う。


  当時は、町活性化への取り組みの最中であり、斬新な視点から、新たな試みを繰り広げてきた楽洛まちぶら会のみなさまのお話を聞いて、「生きた地域社会」というのを実感出来たと思う。

 その時に縁の下の力持ちというので、大変お世話になったのが、Oさんである。

 Oさんは、まちぶら会の「本部?」におじゃました時に始めてお目にかかった。

 取材の時は、僕は末席で、Y先生の隣に座っていたが、その背後に立たれていらっしゃた方で、記憶違いであれば申し訳ないが、黒っぽい服をお召しになられていて、凄く地味な感じがした。

 でも、それは大違いだった。

 Oさんと、メディアを介して、いろいろと、コミュニケーションを続けているうちに、実は、凄く派手というか、積極的に動き回っていらっしゃる方だと判ってきた。

 最近では、あまりにお忙しい様で、「元気かな?だいじょうぶかな?」と少し心配している。

 ☆☆☆

 僕の立つの楽洛まちぶら会体験スクーリングから、5年が早くも過ぎてしまった。これもOさんのツィッターをみて、始めて気がついた次第である。

 応用社会学科では、いろいろと「地域内の生活者の自立」といったテーマを中心に学ばせてもらった。

 残念ながら、当時の私は、45歳に達しながらも、パラサイターで地域社会との接触は、両親に任せていたところがあったので、問題が今少し現実感を帯びてはおらなかった。

 むしろ、今の自分が、新たにぼろ家を神戸市北区に構えて、地域社会の人たちとの接触に呻吟苦悩・右往左往して悩んでいるところであるので、今、再びタイムマシーンで5年前に戻って、先生方や学友のみなさんにいろいろな意見等を伺えたらと思っているが、それは無理な話である。

 ようやく自立しかけている自分にとって、この実習スクーリングの記憶はずっと残り続けるだろうと思う。

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