返ってきたメール2010/08/29 10:07

 実家に帰り、過去の佛大通信が本棚の1/4程度を占領しているのを全て読み替えしていたら、2007年4月号に応用社会学科の同級生であったHさんの記事が目に入った。

 Hさんと僕が応用社会学科を卒業したのは、06年3月25日だった。Hさんは、下半身が不自由で体温調節の機能にも障害があるので、夏季スクーリングで大層苦労された経験等を書かれていた。

 実際、Hさんは、スクーリングでは、特別席(教壇の横)に奥さんと2人ならんで座って、筆記の変わりにパソコンで授業内容を記録していた。

 Hさんは、こうしたハンディがある中で、成績が優秀だった。06年卒の学長賞がHさんで、優秀論文賞が私だったが、Hさんは、「優秀論文賞は私が取るべきだった。」のだと、膨大なアンケート調査、様々な研究に協力してくれていた人たちのお話をされた。

 僕も「さにあらん。」と思った。

 Hさんが障害を受けたのは、たしか大学入学前だと思う。出会い頭の交通事故だったという。それから、事故前の自分と事故後の自分が全く変わってしまったショックを乗り越えて、現状受け入れ、アクティブに様々な社会活動を展開されている。

 クルマによる交通事故が1人の有能な人間の人生を変えてしまったのだ。

 応用社会学科を卒業後、Hさんは、通信の大学院に進まれた。06年の秋の国文学会(佛教大学)に出席する為にキャンパスに行った時、偶然にも車いすのHさんと奥さんにお目にかかったお元気そうだった。

 佛大通信の記事をみて、HさんのWEBがあることを想い出し、今年の猛暑のこともあるので、久しぶりにメールしてみた。

 しかし、メールが配達されずに返って来てしまった。返って来たメールをみて、過ぎゆく時間のむなしさを感じている。

 Hさんが無事に大学院も卒業されて、新たなステップを踏み出されていると思う。

 それに比べて自分は、向上心というのが失われてしまっているので、毎日が空しい。

 本来、男というものは、仕事に向上心を充足させる場・目的を見いだすべきだが、零細企業に身を寄せている中で、それらが見いだせず虚無感を感じていた。

 その慰めとして、最初は、日本100名山登山、佛教大学での修士号の取得、その後、学修継続と進んだのだが、所詮は、それは実体を伴わないものであった。

 向上心がおこらないというか見いだせない職場、そうゆうのが世の中には、数多くあり、そんなことをいうのは、贅沢であると思われるが、日本の社会の停滞の原因はそういった面にあるのだと思う。

 向上心は、何もキャリアーアップだけではなくて、お金儲けでも別に構わないと思う。一生懸命仕事をしたそれだけ収入が増えるのが本来だが、実際には、会社やはかない自分の暮らしをささえるのが精一杯であり、それどころではない。

 Hさんの向上心・チャレンジ精神は、私の様な形代(かたしろ)ではなくて、実体を持った本物であった。だから、本物の持つ凄みというものがあった。

 人間は強くあらねばならないと思った。

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