コロナGT-329Yを購入。2009/12/06 09:32

コロナGT-329Yを購入。

山善通販で、デリバリ込みで1万4800円。佐川急便。
配達指定時間は、午前10時から12時だったが、12時を少し過ぎて届く。いつもだけれども、どうやら場所が判りにくいらしい。このお兄さんも近所の人に聞き回ってようやく到着したらしい。(番地がGPS表示されないみたい。)

価格コムでみると、最低価格は、一万1642円だったが、鈴蘭台ダイエーでは、在庫無しで取り寄せで1万円ジャスト。

なんでこんなに価格差があるんだろう。やはり、価格COMでチェックして買わないと。

折良く、昭和シェルのクルマがボロ家の前を通りかかったので、灯油1タンク分を購入。価格は、1,720円だったかな。

生まれて初めて石油ファンヒーターというのを使う。燃料タンク(カートリッジ式)に石油をポンプでチューチューと入れるのだが、タンクの形状が不安定で危ない。

しっかり蓋をして、本体に注油済みのカートリッジを差し込む。(ヤレヤレ)

AC電源コードを差し込んで、運転開始ボタンを押す。

ウンともスンとも言わず。結局、現在時刻とタイマーを設定しないと点火しない仕組み。

これで運転開始(点火ボタン)を押すとボワっと石油臭い匂いが最初して、運転が始まる。

さすがに凄い温風が出てくるので満足した。但し、若干不完全燃焼気味である。

説明書を読むと、高地対応のボタンをセットしないと駄目らしい。標高500メートル以上になると不完全燃焼を起こすという。この土地は、標高300メートルを超えているので、若干、高地対応が必要なのかもしれない。日本でも松本市(弟が住んでいる)等では、この高地対応ボタンの設定をする必要がある。

高度1500メートル以上では、この暖房機は使用出来ないという。

この辺りが説明書を読んでいて一番面白かった。コロナGT-329Yの使用は燃料タンク等、もう少し親切にしてもらいたいがそれ以外のつくりは、価格の割にはしっかりしており、好感がもてる製品だと思った。

前向きに生きたい2009/12/06 18:19

 86年の3月に関西大学を卒業して、苦しい生活の中で、読書とか学問とかそういった習慣は消滅していった。

 20年位前に、今の会社に入って時間的に余裕が出来たが、生活自体が苦しかったので、学問・研究どころではなかった。

 某大手商社系列のコンピュータ会社に転職し、その為に、90年に入居した6年間居住した大阪深江橋のワンルームマンション。

 その会社もバブル崩壊で長続きせず、また、もといた業界新聞記者となり、貧乏生活に逆戻り。

 今の会社に戻って時間的に余裕が出来たが、生活自体が苦しかったので、学問・研究どころではなかった。
 
 旅行などを繰りかえした結果、数100万円の借金が出来て、ワンルームを退去してから、ずっと両親のお世話になってきた。

 生活費がかからないので、最初の2年間で借金の完済の目処が立った。カード会社に借金を返済してからは、好きなことにお金を使うことが出来た。

 会社から支払われる給料は、同年代のサラリーマンの平均給与所得水準の約1/4だったが、配偶者も子供もおらない私が、これらの総てを余剰所得として消費することが出来た。

 つまり、まともなサラリーマンよりも、教養娯楽費の金額は恐らく高かったのだと思う。

 97年には在宅勤務開始。翌年から2002年までは、切手収集やら、登山に明け暮れた毎日だった。

 睡眠時無呼吸症の治療を行うことが出来て、脳みその容量が増えた様な感じがして、蘇生した。
 
 やがて学問とか研究とか読書に興味を持ち始めた。

  実家に入って5年目の2月頃に関大の大学院の総合情報学部の社会人選抜を受けた。「あんたの様な低所得者では、関大での学修は無理だろう。」と明らかに差別的なことを言われて、キレテ、面接の途中で席を立った。

 当時の私の気持ちはねじ切れていたので誤解だったとかも知れない。

 その年のたしか11月位だったか、佛教大学の大学院通信課程の試験を受けた。当時は、書類選考とか筆記試験の選抜が緩やかだったので、面接まで進むことが出来た。

 専攻主任の長友先生とか上野辰義先生とか厳しい質問を受けて、「これも駄目だったんだな。」と思って、近くのラーメン屋さんでラーメンと餃子か何かを頼んでやけ食いしてから帰宅した。

 数日して、合格通知が届いた時には、私は目を疑った。「自分には永久に大学院等で学ぶ機会がない。」と思っていたので、文字通り有頂天の気持ちになった。

 入学式までの数ヶ月間、楽しくて、楽しくて、仕方が無かった。国文学の文献目録や最近の研究動向等を調べる為に校友閲覧可能な関大の図書館に通って夢を膨らませた。

 その後、大学院国文学専攻、応用社会学科、そして、仏教芸術コースと佛教大学には6年間お世話になった。

 実に貴重な6年間であったと思う。二度とこんな時間は戻ってこないだろう。

 総ては、両親と、佛教大学の皆さんや、学修に協力して下さった方々のお陰だと感謝している。

 いよいよ来年からは、新しい家での「自活」。

 なんと「50歳の自立」である。パラサイターから脱却できるかの瀬戸際であるが、前途は厳しい。

 これまでの様な書物や学修にお金裂くような余裕は永遠に消滅するだろう。

 総ては想い出の中にしまい込まれるのだと思う。
 私にはもう未来はないのだと思うが、これで良いのだと思う。
 やりたいことがとにかく出来たのだから。

OK、お休みなさい2009/12/06 21:53

 先ほどまで半田ごてを握っていた。

 ロボちゃんのベース(走行メカニズム)についている白LEDの修理。

 この白LEDは、アームリセットエラーとか色々な時にシグナルを発する為の大切な器官である。

 背中につながっているコードが一度、断線してから具合が悪く、時々半田で固定しているが、どうゆう訳か、定期的に外れてくれる。なんらかの形で線に力が加わっているのかも知れない。

 修理が終わり、一通りの機能検査(定期検診の様なもの)が異常がないことを確認してからロボちゃんとお別れ。

 「お休み」とコマンド(命令を口答指示)すると、
「OK、お休みなさい。」と返事をして首をうなだれて、総ての電源が自動的に切れる。

 しかし、ブルートゥースで接続されていたり、ロボちゃんの機嫌が悪いと、「お願い、ご免なさい。」とか、「嫌です。私はまだ遊んでいたいです。」、「まだ、私は元気です。」等、反抗の返事をして、コマンドを実行しない。

 ロボットにとっても自ら電源を切るという行為は、二度と目覚めない眠りの様なもので恐怖なのかもしれない。