法悦の境と死生観2009/12/31 09:20

 昨日は、NHKの「こころの時代~宗教・人生~法然を語る」第9回の録画をみた。

 どうゆうわけか第8回(11月の放送分)の録画が欠落しており、惜しいことをしたと思った。

 恐らく第8回については、晩年の法然をめぐる法難の数々について町田宗鳳先生が語られた筈だろうから。

 第9回は、「法然と明恵」で、このお話も非常に面白かった。

 私にとっては、「明恵」とは、華厳経を学んだ時や、佛大の大学院にて、遺訓「あるべきやうは」、『阿留辺幾夜宇和』を取りあげられた通学過程の学生さんの中間発表を聞いて、感銘を受けたり、あるいは、栂尾高山寺にお参りにいった時に善財童子の御像が置かれており、この像を明恵上人が拝んでいたというお話や、『華厳経入法界品』では、普賢菩薩の元で悟りを開く場面等がある。

 この善財童子の御像は実にけなげで可愛らしい。

 この御像は、明惠上人そのもののお姿を映しているのだろう。

 法然上人と同様に武家の出身、幼くして父親を失い、母親を菩薩の様に慕って、その異常な程の情熱が釈尊の教えの実践へと変換されていったのだろう。そうして、その様な姿勢によって仏道修行に導かれていったのだろう。

 あの文覚上人の元で、既成概念にとらわれず、自由闊達な学修を許されたことも多いに後の業績につながっていったと思われる。

 若き日の釈尊と同様に、時には、失神や生死の境まで追い込まれる様な、信じがたい様な修行を重ねた結果、感得された華厳世界は、実は、この世と一体のものであったのだ。

 華厳経と密教、更には座禅による瞑想の世界、努力を重ねて、釈尊の境地に達したいとする明惠上人は、天竺旅行をも計画するが、頓挫してしまったが、その禁欲的な求道の心は生涯変わらなかった。

 法然は、別に修行などしなくても、あるいは、在家での日常生活の中で、念仏に専心すれば、極楽往生がかなうという教えであり、こうした明惠上人とは対極的であった為に、特に明惠上人からは、大いに糾弾される。

 町田先生は、法然上人と明惠上人は、この様な対立関係にあるが、1つのところで交点があると述べられている。

 それは、死生観において、それが、非常に感得的であるという点である。

 浄土宗においては、来世・極楽往生を目指すが、明惠上人は、釈迦と同じく、修行によって、この世で菩薩業を実践し、仏の境地に近づこうとする姿勢である。

 両者ともに真剣な死生観であるが、それが、実に感情・官能的である点である。つまり、宗教的な恍惚感に動かされている。

 母親への異常な愛情、これが法然と明惠の宗教観の形成に根源的なものとなっており、結局は、両者ともに方法は、正反対であるが、法悦の境・生死の境を越えていく力を支配しているのは、感情・官能であり、理性ではない。

 経典の研究や教義は、論理的だが、その背景には、やはり、その様な深層心理が働いている。

 結局、その官能が永遠への憧れにつながってくるが、それが、「光」に導かれる点で、法然と明惠は共通している。法然は言うまでもなく、阿弥陀の光であるし、明惠の場合は、華厳世界を構成しているビッグバンともいう物質の根源の光に導かれていくのである。

 この辺りの論調は、町田先生らしい考え方であるが、ほぼ中世という同時代を生きた2人の宗教家のあり方として、興味深く考えさせられた。

10.すべて人はかならず歌をよむべきものなる内にも、学問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也2009/12/31 09:46

○さて、上にいへるごとく、二典の次には、万葉集をよく学ぶべし。みづからも、古風の歌をまなびてよむべし。すべて人はかならず歌をよむべきものなる内にも、学問をする者は、なほさらよまではかなはぬわざ也。歌をよまでは、古の世のくはしき意(こころ)、風雅のおもむきはしりがたし。

 さて、これまで述べてきた様な古事記、日本書記の次には、万葉集をよく学ぶべきことだ。そうして、自分でも(万葉集の様な古代人の心を宿した)古風な歌を学びて詠んでみることだ。総て、人はかならず歌をよむべきもの(古今集の仮名序の様に)なる中にも、学問をする人間は、尚更、歌を詠まなくてはどうしようもない。歌を詠めなくて、どうして古き世の風雅の心を知ることが出来ようか。


○万葉の歌の中にても、やすらかに長高くのびらかなるすがたをならひてよむべし、又、長歌をもよむべし。

 万葉集の歌の中では、安らかにのびのびとした歌風を学んで詠んでみなさい。また、長歌を詠んでみなさい。

 現代の国文学の研究、古典の学修の中で、特に欠けているのは、こうした古代の作品の心を実践して自分でも和歌や物語を書くなどの創作活動を行うことである。折口信夫氏は、まさに、20世紀の研究者の中で、この宣長の教えを実践した数少ない人である。

 折口氏の長歌も素晴らしい。かの『死者の書』は、小説として構想されたものよりも、宣長の教えそのままに、長歌を詠む過程で、その叙情性と叙事性を結合せしめ、イメージが小説として、結実したのだと思う。

 現代では、万葉集の朗読、朗唱活動がこうした行いに結びついていると思われる。
 
 佛教大学の田中みどり先生や深沢彩子先生達の朗読活動は、私たちの万葉集、いにしへ心を蘇らせてくれると同時に、古代文学の研究に、新たなインスピレーションを与えてくれているのだと思う。

11.古風・後世風、世々ののけぢめ2009/12/31 10:05

11.古風・後世風、世々ののけぢめ

○さて又、歌には、古風・後世風、世々のけぢめあることなるが、古学のともがらは、古風をまづむねとよむべきことはいふに及ばず。
○又、後世風をも棄てずしてならひよむべし。後世風の中にも、さまざまよきあしきふりふりあるをよくえらびてならふべき也。
○又、伊勢・源氏その外も、物語書どもをもつねに見るべし。総てみづから歌をも詠み、物がたりぶみなどをも常に見て、いにしへ人の風雅のおもむきをしるは、歌まなびのためはいふに及ばず、古の道を明らめしる学問にもいみじくたすけとなるわざなりかし。

 さて、歌には、古い感じのもの、あるいは、後の世を思わせる様な感じのもの、時代によって作風が異なっているが、古典を学ぶ人達は、必ずしも、古風な歌をまず詠めとは言っておらぬのである。

 また、後世風の歌の価値をも認めて倣って詠むことも必要だ。こうした後の世の歌の中にも良いものもあれば、悪いものもあるので、それを良く取捨選択して学べば良い。

 また、伊勢物語、源氏物語等、物語類をも常々良くみておくことだ。総て、自分で歌を詠んでみたり、物語の文章等を常に見て(学んでおくことは)、古代の人の風雅の趣向を知ることは、歌を学ぶだけではなくて、古代研究の学問の為にも大変、役に立つことだ。

○上件ところどころ圏の内にかたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく、論ひさとしたるを、そこはここと、たづねとめてしらしめん料のしるし也。

 以上の文章のところどころに圏の中に片仮名で印をつけた。それは、いわゆる合印であった、個々の子細、あるいは別にこころみた評論等、それらがどれに対応するかがわかる様にする為の印である。


*以上、『うひ山ぶみ』の総論編である。
ほぼ1年を費やして、ようやく総論の注釈が終わった。恐るべき怠慢さである。『うひ山ぶみ』の各論は、この倍の文章量である。
果たして、同じ様にブログに書く続けることが出来るのか、とにかく、1年の締めくくりとして、ここまで、終えて置きたかったので、こうして、大晦日に、こんな慌ただしいことをしている自分が情けなくなってくる。