つかの間の暇と自由を謳歌する筈が。 ― 2010/08/31 09:13
民主党が、新卒の規定を卒業後3年間に範囲を広げて、これらの新卒を採用した企業には、優遇措置を講ずる景気対策方針を明らかにした。
かつて就職氷河期と言われた時代から、景気が踊り場から回復基調に向かった時、ようやく雇用情勢も平常に戻るかと思われたのもつかの間、リーマンショック後、100年に一度という世界不況の荒波に日本も飲み込まれ、再び雇用情勢も悪化、11年卒の新卒の内定率が3割から4割とか言われている。
大学生によると、就職活動は、2回生の終わりから始めないと手遅れだそうだ。
つまり、1~2回生の間に人生・進路を決定し、3回生の段階で、絞り込み、準内定といった状況でないと「ライフステージのエスカレータ」には、乗れないということである。
大学院教育は、更に本末転倒な状況となっている。
少なくとも修士課程までは、大学予備校宜しく、「就職予備校」に変わってしまっている。つまり、2年間で、研究者になる為に基本を習得すべきが、就職活動とか企業研修とか、本来は、学問研究の場が、専門学校と化してしまっている。
本当の研究者になるには、在学中あるいは、ポストドクターで博士号学位を取得せねばならない。
こんな世の中を、20年前には、誰が予想しただろうか。
僕らの時代は、大学生活はモラトリアムとされて、徴兵余裕宜しく、つかの間の暇と自由を謳歌し、それが貴重な体験となり、実際、世の中で活躍している人達は、「モラトリアム時代がなかったら、今の人生はない。」という人も多い。
今の若い大学生が20年後に学生生活を振り返ってどう思うだろうか。僕らが、受験浪人時代の予備校を想い出すような回想しか出来ないだろう。
学部・修士課程を含めた6年間が最高学府での教育の最低条件だとすれば、もっとも余裕がある時代は、1~2回生ということになる。
ところが、大学の教育課程は、この時期は、一般教養というか基礎教育であり、専門的な教育を受けることは出来ない。
教養課程が無駄であるとまでは、言わないが、人生の中で、最も質の高い時間を無為に学生に過ごさせるのは、もったい無い様な気がする。
今、大学では、オープンキャンパスが実施されている。
更に、この考えを推し進めて、高校生2年までに志望大学を絞らせて、将来所属したい大学を決定し、基礎教育を受けられる様な制度にすれば良いと思う。
つまり、大学を高校時代に「婚約」する訳である。
こうした「事前教育」で修得した単位は、その大学の入学試験の得点として加点され、優秀な学生には、奨学資金、優先入学が実施される様にすれば良い。
定員割れ時代の受験競争は、無為な消耗でしかない。「実際能力」を見定める場が必要である。
そうすれば、大学の入学した最初の2年間は、本来の学問・研究に専念出来る。そうして、残りの2年間は、就職、社会人になる為の準備に当てることが出来る。
佛教大学の通信教育の教養課程の内容は、優秀な高校生であれば、十分に理解出来る内容である。
一般教養は、語学以外は、通信教育とスクーリングで、十分である。高校生も受験勉強が不要ということになれば、納得するのではないだろうか。
こうした高等教育の見直しは、自民党政権時代に企画されたことがあったが、民主党政権になってからは、既存の6+3+3+4を維持する方向となり、高校教育の無償化もこの様な方針に基づくものであるが、大学に進学してもまともな教育は受けられない、学生の質の低下といった問題につながってきている。
本来の「知の探求」は、地球や惑星、あるいは、銀河系の中を太陽系を移動していく様な感触を「宇宙の静謐の時間」で体験出来る様な環境が必要である。
足下に火がついた様な状況では、優秀な研究者、社会人は育たない。
そうして、日本は、中国やアジア圏に知的水準でも追い抜かれていくのだろう。
かつて就職氷河期と言われた時代から、景気が踊り場から回復基調に向かった時、ようやく雇用情勢も平常に戻るかと思われたのもつかの間、リーマンショック後、100年に一度という世界不況の荒波に日本も飲み込まれ、再び雇用情勢も悪化、11年卒の新卒の内定率が3割から4割とか言われている。
大学生によると、就職活動は、2回生の終わりから始めないと手遅れだそうだ。
つまり、1~2回生の間に人生・進路を決定し、3回生の段階で、絞り込み、準内定といった状況でないと「ライフステージのエスカレータ」には、乗れないということである。
大学院教育は、更に本末転倒な状況となっている。
少なくとも修士課程までは、大学予備校宜しく、「就職予備校」に変わってしまっている。つまり、2年間で、研究者になる為に基本を習得すべきが、就職活動とか企業研修とか、本来は、学問研究の場が、専門学校と化してしまっている。
本当の研究者になるには、在学中あるいは、ポストドクターで博士号学位を取得せねばならない。
こんな世の中を、20年前には、誰が予想しただろうか。
僕らの時代は、大学生活はモラトリアムとされて、徴兵余裕宜しく、つかの間の暇と自由を謳歌し、それが貴重な体験となり、実際、世の中で活躍している人達は、「モラトリアム時代がなかったら、今の人生はない。」という人も多い。
今の若い大学生が20年後に学生生活を振り返ってどう思うだろうか。僕らが、受験浪人時代の予備校を想い出すような回想しか出来ないだろう。
学部・修士課程を含めた6年間が最高学府での教育の最低条件だとすれば、もっとも余裕がある時代は、1~2回生ということになる。
ところが、大学の教育課程は、この時期は、一般教養というか基礎教育であり、専門的な教育を受けることは出来ない。
教養課程が無駄であるとまでは、言わないが、人生の中で、最も質の高い時間を無為に学生に過ごさせるのは、もったい無い様な気がする。
今、大学では、オープンキャンパスが実施されている。
更に、この考えを推し進めて、高校生2年までに志望大学を絞らせて、将来所属したい大学を決定し、基礎教育を受けられる様な制度にすれば良いと思う。
つまり、大学を高校時代に「婚約」する訳である。
こうした「事前教育」で修得した単位は、その大学の入学試験の得点として加点され、優秀な学生には、奨学資金、優先入学が実施される様にすれば良い。
定員割れ時代の受験競争は、無為な消耗でしかない。「実際能力」を見定める場が必要である。
そうすれば、大学の入学した最初の2年間は、本来の学問・研究に専念出来る。そうして、残りの2年間は、就職、社会人になる為の準備に当てることが出来る。
佛教大学の通信教育の教養課程の内容は、優秀な高校生であれば、十分に理解出来る内容である。
一般教養は、語学以外は、通信教育とスクーリングで、十分である。高校生も受験勉強が不要ということになれば、納得するのではないだろうか。
こうした高等教育の見直しは、自民党政権時代に企画されたことがあったが、民主党政権になってからは、既存の6+3+3+4を維持する方向となり、高校教育の無償化もこの様な方針に基づくものであるが、大学に進学してもまともな教育は受けられない、学生の質の低下といった問題につながってきている。
本来の「知の探求」は、地球や惑星、あるいは、銀河系の中を太陽系を移動していく様な感触を「宇宙の静謐の時間」で体験出来る様な環境が必要である。
足下に火がついた様な状況では、優秀な研究者、社会人は育たない。
そうして、日本は、中国やアジア圏に知的水準でも追い抜かれていくのだろう。
最近のコメント