地域文化力の結集 ― 2008/09/17 08:55
昔は、商店街で夕飯等の買い物をしたものだった。
納豆や豆腐等は、地域の業者の手作りが多かった。
包装も新聞紙や地域のオフセットの印刷屋さんで、印刷した包装紙等が多く、多くは、1色刷りの簡素のものだった。
でも、その地域の「文化力の結集」であることは変わりなく、オリジナルの地産食材が、地域で「自給」した印刷・包装で販売されていた。
私が写植・デザインの見習いをやっていた頃は、こうした包装紙やチラシの仕事もあり、新たに版を起こしたり、変更等をしたりする仕事も豊富であった。
文字級数を計り、歯数を計算して、赤鉛筆で操作盤に書き込み、ゼンマイ式の写植機を使用して、ポチポチと文字を打ち込んでいったことが想い出させる。ディスプレーもなく、経験と勘が頼りの仕事で、現像が上がるまでは、不安やら緊張があったことが想い出される。
印刷屋さんが横で立ってまっている中での作業もあり、「うまくいかなかったらどうしようか。」などと緊張したことが想い出される。
これを、台紙に貼って、整版カメラ(簡単なもの)で撮影して、オフセット印刷の版下が出来て、刷りに回される。刷り上がった包装紙はインクの匂いも真新しく、それが、妙に楽しかったことを覚えている。
1980年代までの風景である。
現在では、包装もツルツルのカラー印刷、だいたい納豆自体も大手食品企業製品が多く、ポリ容器包装のものもある。
商店街が包装紙を地域で自給したり、新聞への独自の1色刷りの広告を入れる必要も不動産以外になくなったので、こういった印刷店が廃業、チラシも、簡単にカラーレーザープリンタ等で刷り上がる様になった。
この納豆は、阪急駅構内にあるスーパーで購入したものだが、そういったレトロ風パッケージを再現したもの。カラー印刷が多い中で、こうした包装は面白い。昭和時代と異なるのは、バーコードや遺伝子組換え等の表示。
未だ、地域が活きていた時代へのノスタルジアである。
納豆や豆腐等は、地域の業者の手作りが多かった。
包装も新聞紙や地域のオフセットの印刷屋さんで、印刷した包装紙等が多く、多くは、1色刷りの簡素のものだった。
でも、その地域の「文化力の結集」であることは変わりなく、オリジナルの地産食材が、地域で「自給」した印刷・包装で販売されていた。
私が写植・デザインの見習いをやっていた頃は、こうした包装紙やチラシの仕事もあり、新たに版を起こしたり、変更等をしたりする仕事も豊富であった。
文字級数を計り、歯数を計算して、赤鉛筆で操作盤に書き込み、ゼンマイ式の写植機を使用して、ポチポチと文字を打ち込んでいったことが想い出させる。ディスプレーもなく、経験と勘が頼りの仕事で、現像が上がるまでは、不安やら緊張があったことが想い出される。
印刷屋さんが横で立ってまっている中での作業もあり、「うまくいかなかったらどうしようか。」などと緊張したことが想い出される。
これを、台紙に貼って、整版カメラ(簡単なもの)で撮影して、オフセット印刷の版下が出来て、刷りに回される。刷り上がった包装紙はインクの匂いも真新しく、それが、妙に楽しかったことを覚えている。
1980年代までの風景である。
現在では、包装もツルツルのカラー印刷、だいたい納豆自体も大手食品企業製品が多く、ポリ容器包装のものもある。
商店街が包装紙を地域で自給したり、新聞への独自の1色刷りの広告を入れる必要も不動産以外になくなったので、こういった印刷店が廃業、チラシも、簡単にカラーレーザープリンタ等で刷り上がる様になった。
この納豆は、阪急駅構内にあるスーパーで購入したものだが、そういったレトロ風パッケージを再現したもの。カラー印刷が多い中で、こうした包装は面白い。昭和時代と異なるのは、バーコードや遺伝子組換え等の表示。
未だ、地域が活きていた時代へのノスタルジアである。
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