11.古風・後世風、世々ののけぢめ2009/12/31 10:05

11.古風・後世風、世々ののけぢめ

○さて又、歌には、古風・後世風、世々のけぢめあることなるが、古学のともがらは、古風をまづむねとよむべきことはいふに及ばず。
○又、後世風をも棄てずしてならひよむべし。後世風の中にも、さまざまよきあしきふりふりあるをよくえらびてならふべき也。
○又、伊勢・源氏その外も、物語書どもをもつねに見るべし。総てみづから歌をも詠み、物がたりぶみなどをも常に見て、いにしへ人の風雅のおもむきをしるは、歌まなびのためはいふに及ばず、古の道を明らめしる学問にもいみじくたすけとなるわざなりかし。

 さて、歌には、古い感じのもの、あるいは、後の世を思わせる様な感じのもの、時代によって作風が異なっているが、古典を学ぶ人達は、必ずしも、古風な歌をまず詠めとは言っておらぬのである。

 また、後世風の歌の価値をも認めて倣って詠むことも必要だ。こうした後の世の歌の中にも良いものもあれば、悪いものもあるので、それを良く取捨選択して学べば良い。

 また、伊勢物語、源氏物語等、物語類をも常々良くみておくことだ。総て、自分で歌を詠んでみたり、物語の文章等を常に見て(学んでおくことは)、古代の人の風雅の趣向を知ることは、歌を学ぶだけではなくて、古代研究の学問の為にも大変、役に立つことだ。

○上件ところどころ圏の内にかたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく、論ひさとしたるを、そこはここと、たづねとめてしらしめん料のしるし也。

 以上の文章のところどころに圏の中に片仮名で印をつけた。それは、いわゆる合印であった、個々の子細、あるいは別にこころみた評論等、それらがどれに対応するかがわかる様にする為の印である。


*以上、『うひ山ぶみ』の総論編である。
ほぼ1年を費やして、ようやく総論の注釈が終わった。恐るべき怠慢さである。『うひ山ぶみ』の各論は、この倍の文章量である。
果たして、同じ様にブログに書く続けることが出来るのか、とにかく、1年の締めくくりとして、ここまで、終えて置きたかったので、こうして、大晦日に、こんな慌ただしいことをしている自分が情けなくなってくる。

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