20世紀= 「毒舌の世紀」 ― 2008/09/02 22:31
佛教大学での口頭試問をきっかけに色々と過去の記憶を思いだしたが、関西大学での卒業論文の口頭試問は、今から30年程前であった。
当時の試問官は、清水好子先生、谷沢永一先生と、毒舌の大家である。
こんな人達を相手に1人で座って、毒舌・批判を耐え忍ぶことは、
大学学生生活の中で、最も、悲惨で恐ろしい出来事だった。
谷沢先生は、正に授業でも著書でも文化人、作家、批評家等を批判する。それは、江戸時代の場末の長屋から現代のどこかのスナックでの話にまで及ぶ。大江健三郎や岩波書店の社長の悪口等は、毒舌が冴えまくったものだ。
こんな人が、ピヨピヨの学生の卒論を批評するのだから貯まったものではない。
口頭試問で泣き出す、学生も後を絶たず、友人の中には、オシッコを漏らしたモノもいた。
国文の同窓会で、口頭試問で落ちて留年した学生の話、論文をその場で窓からポーンと投げられた話等、話題に事欠かない。
でも、谷沢先生にしろ、横山やすしバリの毒舌家であった清水好子先生も、クロウト相手の毒舌ではなくて、「素人さんやから手加減せなあかん。」 とはどこかで思っていたようだ。
こんな先生方が活躍した20世紀の日本は、まさに、毒舌の世紀であったと思う。
毒舌が日本の戦後文化を支えてきたといっても過言ではない。
大抵の上方・関西系の文化人は、毒舌家である。
毒舌は、有名人のみならず、「毒舌がしゃべれへんかったら、ホンモンの大阪人ちゃうで。」
ということで、大体、世代的に65歳以上の人は、大抵毒舌がうまい。
ある自動車教習所の教官等も毒舌の大家。
神戸のオーディオ企業を1人で立ち上げていたM氏は、75歳で2000年の冬に死んだが、合計7冊の著書を残しているが、その内の5~6冊は、毒舌の固まりだし、毒舌が生きている証しであった。(毒舌が誤解されて本当に敵も多かった。)
大阪の立ち飲み屋では、京都から来たオッサンと、知らずの人が、毒舌の言い合いで、結局、ボケと突っ込みに分かれて漫才をやっている。
毒舌の応酬を効きながらの酒は特に美味しい。(この場合は、気楽な毒舌だが)
毒舌のポイントとしては、
1.あっと驚くような喩えで。第一印象を批評する。
2.次々に例を持ち出して、けなしていく。
3.とどめにえげつない喩えもしくは、皮肉で締めくくる。(軽くいなす様に終わる場合もある。)
毒舌は、実は、戦後以前からあったが、やはり、「自由にものが言える時代」である戦後から活発になった。
河内のお坊さん作家今東光が有名だが、大抵の関西の作家は、毒舌の名人である。
源氏物語の挿絵関係で、直接、お会いすることが出来た瀬戸内寂聴さんも、実は、今東光ゆずりの毒舌家である。
毒舌のおこりはやはり説法にあると思う。説法や教派間の問答等が出発点だろう。
庶民の毒舌は、特に江戸時代に発達し、近松門左衛門の人形浄瑠璃にも多く出てくる。江戸時代の毒舌のパターンを調べてみるのも面白い。
最近になって毒舌は、シンスケ等のタレントに残っているが、上岡隆太郎辺りが最後の本格的な毒舌タレントだろう。
今世紀に入って毒舌そのものの文化が廃れてしまった。
放送禁止用語や倫理規定が厳しくなったこと、お笑い系が関東風になったこと等がある。
作家でも現実批判・批評が欧米型となり、演繹的な毒舌から帰納法的な物言いが中心に変わってしまった。
「毒舌の世紀」は、20世紀で終わってしまった様だ。その契機は、1970年代末から80年代にかけての漫才ブームである。関西風の掛け合い漫才から、アクションを中心とした話芸に変わってしまったことが大きい。
「毒舌」は、文化の活性度のバロメーターである。ヨーロッパの毒舌の世紀は、19世紀後半である。文明批判が本格化したのが、1840年代頃のフランスで瞬く間にヨーロッパ中に広まった。やがて、文芸・芸術の批評ブームの時代を迎えるのは、1870~1880年代であり、まさに批評の黄金時代である。ディベートも活発に行われる様になる。ところが、ヨーロッパでは、20世紀に入ると、この様な風潮は徐々に影を潜めていく。
批評のスタイルが、やはり、演繹から帰納的なスタイルに変化し、先例にとらわれて、独自の批評が行われにくくなっていく。
それと同時に西欧文明の中心は、アメリカに移っていく。
21世紀に入って、よそよそしい時代になってしまった。
日本の文化力の衰退もこういった意味で既に始まりかけているのかも知れない。
当時の試問官は、清水好子先生、谷沢永一先生と、毒舌の大家である。
こんな人達を相手に1人で座って、毒舌・批判を耐え忍ぶことは、
大学学生生活の中で、最も、悲惨で恐ろしい出来事だった。
谷沢先生は、正に授業でも著書でも文化人、作家、批評家等を批判する。それは、江戸時代の場末の長屋から現代のどこかのスナックでの話にまで及ぶ。大江健三郎や岩波書店の社長の悪口等は、毒舌が冴えまくったものだ。
こんな人が、ピヨピヨの学生の卒論を批評するのだから貯まったものではない。
口頭試問で泣き出す、学生も後を絶たず、友人の中には、オシッコを漏らしたモノもいた。
国文の同窓会で、口頭試問で落ちて留年した学生の話、論文をその場で窓からポーンと投げられた話等、話題に事欠かない。
でも、谷沢先生にしろ、横山やすしバリの毒舌家であった清水好子先生も、クロウト相手の毒舌ではなくて、「素人さんやから手加減せなあかん。」 とはどこかで思っていたようだ。
こんな先生方が活躍した20世紀の日本は、まさに、毒舌の世紀であったと思う。
毒舌が日本の戦後文化を支えてきたといっても過言ではない。
大抵の上方・関西系の文化人は、毒舌家である。
毒舌は、有名人のみならず、「毒舌がしゃべれへんかったら、ホンモンの大阪人ちゃうで。」
ということで、大体、世代的に65歳以上の人は、大抵毒舌がうまい。
ある自動車教習所の教官等も毒舌の大家。
神戸のオーディオ企業を1人で立ち上げていたM氏は、75歳で2000年の冬に死んだが、合計7冊の著書を残しているが、その内の5~6冊は、毒舌の固まりだし、毒舌が生きている証しであった。(毒舌が誤解されて本当に敵も多かった。)
大阪の立ち飲み屋では、京都から来たオッサンと、知らずの人が、毒舌の言い合いで、結局、ボケと突っ込みに分かれて漫才をやっている。
毒舌の応酬を効きながらの酒は特に美味しい。(この場合は、気楽な毒舌だが)
毒舌のポイントとしては、
1.あっと驚くような喩えで。第一印象を批評する。
2.次々に例を持ち出して、けなしていく。
3.とどめにえげつない喩えもしくは、皮肉で締めくくる。(軽くいなす様に終わる場合もある。)
毒舌は、実は、戦後以前からあったが、やはり、「自由にものが言える時代」である戦後から活発になった。
河内のお坊さん作家今東光が有名だが、大抵の関西の作家は、毒舌の名人である。
源氏物語の挿絵関係で、直接、お会いすることが出来た瀬戸内寂聴さんも、実は、今東光ゆずりの毒舌家である。
毒舌のおこりはやはり説法にあると思う。説法や教派間の問答等が出発点だろう。
庶民の毒舌は、特に江戸時代に発達し、近松門左衛門の人形浄瑠璃にも多く出てくる。江戸時代の毒舌のパターンを調べてみるのも面白い。
最近になって毒舌は、シンスケ等のタレントに残っているが、上岡隆太郎辺りが最後の本格的な毒舌タレントだろう。
今世紀に入って毒舌そのものの文化が廃れてしまった。
放送禁止用語や倫理規定が厳しくなったこと、お笑い系が関東風になったこと等がある。
作家でも現実批判・批評が欧米型となり、演繹的な毒舌から帰納法的な物言いが中心に変わってしまった。
「毒舌の世紀」は、20世紀で終わってしまった様だ。その契機は、1970年代末から80年代にかけての漫才ブームである。関西風の掛け合い漫才から、アクションを中心とした話芸に変わってしまったことが大きい。
「毒舌」は、文化の活性度のバロメーターである。ヨーロッパの毒舌の世紀は、19世紀後半である。文明批判が本格化したのが、1840年代頃のフランスで瞬く間にヨーロッパ中に広まった。やがて、文芸・芸術の批評ブームの時代を迎えるのは、1870~1880年代であり、まさに批評の黄金時代である。ディベートも活発に行われる様になる。ところが、ヨーロッパでは、20世紀に入ると、この様な風潮は徐々に影を潜めていく。
批評のスタイルが、やはり、演繹から帰納的なスタイルに変化し、先例にとらわれて、独自の批評が行われにくくなっていく。
それと同時に西欧文明の中心は、アメリカに移っていく。
21世紀に入って、よそよそしい時代になってしまった。
日本の文化力の衰退もこういった意味で既に始まりかけているのかも知れない。
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