SPレコード ― 2008/09/29 20:50
こういったものが珍しい時代になってしまったのかというのが感想。
ウチには、SPレコードが大量にあるので、あんまり珍しくない。
蝋管に録音した明治期の義太夫や浄瑠璃、落語等は、早稲田大学の演劇博物館に寄付されてしまった。
通常のSP盤でも、電気録音のものは、それ程、珍しくないが、やはり、アコースティックのものは、珍しい。
こういった大学とか博物館のSPレコードの講演は、大抵、電気再生なので、本当の音を聞くことが出来ない。
「昔の演奏だから、音は悪くて当然。」
といった認識は、クレデンザとかグラモフォンとか最高級の専用の再生機で聞くと、現代録音とそれ程変わらない臨場感を味わうことが出来る。
近代のナレーションやアナウンスの原点はどこにあるか。私は、それは、ラジオの実況中継は愛宕山のラジオ放送が始まってからのことで、1920年代以降、でも、映画の弁士の録音は、一部、古い物は、19世紀のものも含まれている。
これらは、江戸時代から続く独特の節回しなんだが、それに近代日本語のイントネーションが混じっており、過渡期のナレーションを聴くことが出来る。来年2月5日の「映画説明レコードとはなにか?」そういった意味で面白いと思う。
これは、佛大研究室の掲示板に貼ってあったが、恐らく国文の坂井先生が、興味を持たれているに違いない。
ウチには、SPレコードが大量にあるので、あんまり珍しくない。
蝋管に録音した明治期の義太夫や浄瑠璃、落語等は、早稲田大学の演劇博物館に寄付されてしまった。
通常のSP盤でも、電気録音のものは、それ程、珍しくないが、やはり、アコースティックのものは、珍しい。
こういった大学とか博物館のSPレコードの講演は、大抵、電気再生なので、本当の音を聞くことが出来ない。
「昔の演奏だから、音は悪くて当然。」
といった認識は、クレデンザとかグラモフォンとか最高級の専用の再生機で聞くと、現代録音とそれ程変わらない臨場感を味わうことが出来る。
近代のナレーションやアナウンスの原点はどこにあるか。私は、それは、ラジオの実況中継は愛宕山のラジオ放送が始まってからのことで、1920年代以降、でも、映画の弁士の録音は、一部、古い物は、19世紀のものも含まれている。
これらは、江戸時代から続く独特の節回しなんだが、それに近代日本語のイントネーションが混じっており、過渡期のナレーションを聴くことが出来る。来年2月5日の「映画説明レコードとはなにか?」そういった意味で面白いと思う。
これは、佛大研究室の掲示板に貼ってあったが、恐らく国文の坂井先生が、興味を持たれているに違いない。

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